プレー中ガムを噛むことは?

 外国人の野球選手がバッティングに際してガムを噛んでいる映像が良く見られます。日本的感覚からいうと「お行儀が悪い」とか「集中できないのでは」など批判的なコメントが多く寄せられます。仮にバッティングに支障があるとすれば、いかに文化的習慣が違うとはいえ多くの選手がプレー中にガムを噛んでいることはないものと思われます。何か効果があるのでしょうか?
 私たちがかつて実験した結果では、ガムを噛み続けながら反応時間を測定すると「何もしない状況」よりも反応が速くなる結果が得られました。そして「噛みしめ続けている」と逆に反応時間が遅くなることも分かりました。これは「関節固定」にかかわって素早く動作を切り替えることができなくなるためと考えられます。
 噛むことに関わる咀嚼筋の中心「咬筋」という筋肉は大変面白い筋肉で、食物の形状や硬さに応じてリズミカルな開口と閉口の咀嚼運動を調整します。ガムを噛む場合とナッツを噛む場合では対象の硬さや大きさの変化を感知し脳幹に存在する神経回路を装飾して適切な咀嚼運動を実現します。
 230~130万年前に存在し絶滅した「パラントロプス」というご先祖様は硬い根や豆などを「噛み砕く」ために咬筋に加えて強大な「側頭筋」を持ち頭蓋骨最上部はウルトラマンのような矢状突起があって丸い顔をしていたようで噛む力は私たちの3~6倍(ちなみに私たちの噛む力は体重相当といわれています)あったようです。一方私たちに直結する「ホモ・ハビリス」は多様な食物を摂取していたようで側頭筋の発達はありませんでした。実は私たち現代人の一食での咀嚼回数は600回で、弥生時代の復元食から推定される4000回に比べるとずいぶん少なくなっている(日本咀嚼学会・斎藤滋先生)ようですが、食材や加工調理技術の変容があっても基本的な咀嚼に関連する機能は変化していないようにも思います。
 咀嚼活動にともなう咬筋からの筋感覚の信号は脳への「覚醒信号」の役割を持ちます。咬筋からの感覚シグナルは「脳幹網様体賦活系」という脳全体を覚醒させるシステムを通じて脳‐神経系の活動レベルを高めます。自動車を運転していて眠気が襲ってきたときにガムや昆布やスルメを噛むことが覚醒水準を上げることは私たちも経験することです。石川県立大学の小林宏光先生は、カツオの燻製など硬い食べ物を幼稚園児に3か月間給食で提供したところ知能テストの成績が向上したことを指摘しており、認知症の高齢者の方が自力で食事摂取ができなくなる(チューブ食や胃ろう手術など)と重症化するとの症例を考えてみても、咀嚼運動の継続が脳の覚醒水準を向上させることがうかがえます。
 マウスガードの着装時も「噛みしめ続けている」と円滑な運動の遂行や切り替えを妨げる可能性もあることからも、プレー中にガムを噛むなどの「適切な口内咀嚼環境」を維持することはパフォーマンスの改善に有効なのかもしれません。

スポーツで使う「マウスガード」って何ですか?

 アメリカンフットボールなど激しい接触を伴うスポーツ実施の場合には口の中に「マウスガード」を入れてプレイをしていて、ヘルメットからアタッチメントを介してぶら下がっていると「何コレ・・」と思ってしまいます。
 口腔内の保護の意味もありますし歯をくいしばることで「筋力発揮」に有効ともいわれ、自転車のロードレースなどでも最後の「ゴールスプリント勝負」に備えて、その直前にポケットから取り出してくわえていることもあるようです。インターネット上でも販売されていて、お湯で温めてから「喰いしばって」自分の歯型に合わせて使用することができます。
 ところが私たちが行ったウェイトリフティング選手の研究(2009)では、自分の歯の咬合状態から4ミリ以上厚いマウスガードを使用した場合にはパフォーマンスの低下を招く可能性があることが分かりました。バーベルを一気に頭上に引き上げる「スナッチ」動作では、4ミリ厚のマウスガードでは動作に関わる筋電図解析で「関節固定」の傾向が強くなったのです。これに対して歯科医が製作し調整した3ミリ厚のマウスガードではそのような傾向はみられませんでした(新潟国体マウスガードプロジェクト報告書)。動作の筋電図解析では、必要な筋活動は基本的に「拮抗性」が求められますが、曲げる筋群と伸ばす筋群が「協働性」に活動すると「関節固定」をしてしまい動作の効率的遂行を妨げてしまします。いわゆる「力んだ」状態です。
 筋の活動には動作に関連して拮抗的に働く「Phasic Factor」と動作全体を背景的に支える「Tonic Factor」があります。マウスガードを必要以上に厚くしてしまうと「噛みしめ」による「協働性収縮」を誘発してしまい、その動作に必要な「拮抗性収縮」による「動作の切り替え」を妨げるようなのです。これはウェイトトレーニングの負荷(重量)設定でもいわれていることなのですが「最大挙上重量」では必要のない筋群の参加と動作を妨げる「関節固定」を招くようです。トレーニング効果の確認のためには必要かもしれませんが、日常的に行うトレーニング課題としての「1RM(1回挙上最大重量)」は多分必要がないように思います。現実的に考えても「全力」は決して「最大のパフォーマンス」をもたらすわけではないのです。
 この点で必要以上に厚いマウスガードの使用は、「安全確保」のためには有効なのですが「パフォーマンス向上」のためには「制限因子」になっている可能性があるようなので、この研究は新潟の歯科医師会の先生方と「経験主義はダメ」「専門医にケアをお願いする」というキャンペーンになりました。
 

「ストライド走法」か「ピッチ走法」か?

 2022年1月16日の都道府県対抗女子駅伝で、只今注目の群馬県:不破聖衣選手が4Km区間で13人抜きの大会新記録を更新し「伸びやかなストライドで・・」と表現されました。一方2021年9月5日東京パラリンピック女子マラソン・視覚障害の部で金メダルの道下美里選手は1分間240歩という驚異のハイピッチで走ります。2000年シドニー五輪・マラソン金メダルの高橋尚子選手は1分間209歩のハイピッチ走法とされ、2004年アテネ五輪金メダルの野口みずき選手は身長と同じ150cmでストライド走法とされています。男子の谷口浩美選手は1分224歩のハイピッチ、大迫傑選手は180cmのストライドです(日本陸連HP:野口純正氏データより)。
 では「ストライド」と「ピッチ」との関係はどうなっているのでしょうか?
 疾走速度は歩幅(ストライド)と回転数(ピッチ)の掛け算で決まります。その「一歩ごとの速度の積み重ね=タイム」が歩幅と回転数のどちらによってより強く影響されているのか(相関分析)を検討すると面白いことが分かります。山崎は全日本大学駅伝に出場するレベルの選手たちの10000m走における疾走速度とピッチとストライドの関係を分析し、8800m(後半)でスピードとピッチとの相関が全員高まること(決定係数90%以上)を指摘しました。面白いことにこの現象は中間の4800mではあまり見られなかったことです。また、日本インカレ入賞レベルの選手ではストライドが選手中一番長かったにもかかわらずスピードとピッチとの相関が高く、ストライドの一番短かった他の選手ではスピードとストライドの相関の方が高かったことを報告しました(2013年)。
 つまりストライドが長いからといって単純に「ストライド走法」であるとかピッチが高いからといって単純に「ピッチ走法」であるということではなさそうなのです。これは短距離走でも同じことで、適正ストライドによる高いピッチの維持が「ベストタイム」を生みだすために重要であること、前半と中盤と後半でエネルギー供給系の変容(疲労感?)に応じてピッチとストライドの関係を変化させることが戦略として重要であることを意味します。おそらく不破聖衣選手や田中希美選手はこの「切り替え能力」が極めて高いのではないでしょうか。また、「同じストライド✕同じピッチ≒同じスピード」で走り続けることは脳の「中枢性抑制」を引き起こすことが考えられ、動作を変容させることによる「脱抑制」の発現を促して「セーチェノフの積極的休息」と同等のメカニズムを駆動しているのではないかと考えています。
 山崎はフルマラソンのトレーニングとして「ハイブリッド2時間走」を提起しました(ランナーズ 2013年4月号)。1時間たったらストライドを短くしてピッチアップしてさらに1時間走り続けるトレーニングで、グリコーゲン枯渇で出力系が低下してもストライドを短くしてキック力への負担を減らして走り続ける練習方法です。自転車の登り坂でギアチェンジをしてペダル負荷(ストライド)を軽減して回転数(ケイデンス・ピッチ)を上げて速度を維持して登りきるイメージとなります。
 どうやら走運動の原理は「ストライド」と「ピッチ」のコントロール能力の獲得がカギを握っているようなのです。

「二足走行」がヒトをつくった?

 サルでもチンパンジーでも人間が訓練をすれば「二足歩行」をすることができます。これは生態学の故・伊藤嘉昭先生が提唱した「2つの運動革命」の第1段、樹上生活での「腕歩行(Brachiation)」による肩関節の変化と脊柱の直線化が貢献しています(人間の起源、紀伊国屋書店、1966)。背骨が真っすぐであれば直立することは容易で、実は赤ちゃんが立ち上がった際は背骨のS字湾曲はまだ出来上がっていません。また、人類学の馬場悠男先生は、チンパンジーなどでは腰椎が4個であるのに対して二足歩行を始めたアファール猿人などは腰椎が6個であり、これに対してホモ・サピエンス段階では5個であることを指摘します(私たちはどこから来たのか、NHK出版、2015)。アファール猿人の二足歩行はチンパンジーとは異なり(サルやチンパンジーは踵骨が十分に発達していないのでうまく歩けない)しっかりと歩いていたようです。
 ホモ・エレクトス段階で「持久狩猟」が始まったことが知られており、30Kmにも及ぶ持久狩猟を実現するためには「二足歩行」ではなく「二足走行」も可能でかつ体毛が減少して発汗による体温調節が可能になっていることも必要でした。ハーバード大学の進化生物学者・リ-バーマン先生は、人間の脚は大きなばねのように作用し効率よく片足でジャンプしてからもう片足で着地できることを指摘し、大きなアーチの足底と長いアキレス腱にエネルギーを蓄積して再利用する可能性を指摘しています。また大殿筋の発達や項靭帯の存在が走動作を支え、さらに発達した三半規管が不安定な状況下での速い移動を可能としたことを指摘します(人体600万年史~科学が明かす進化・健康・疾病、早川書房、2015)。
 当然、これらの移動方法と狩猟用具の革新(投擲具アトラトルなどの発明)、加熱調理などの食料メニューの革新などなど進化に関連して「共進性」と呼ばれる様々なプロセスがあったことが、ホモ・エレクトス段階からの脳の加速度的な大型化を支えてきたともの考えられます。そして、逆説的にそれらの共進性を構成する要因を実現することができない場合にはヒトとしての特徴を十分には発達できない可能性があります。これは現代社会の健康を阻害する様々な要因ともなっています。
 ヒトの解剖生理学的な構造上「歩」「走」「跳」「投(これは樹上生活での腕歩行と対応?)」「打」などの身体運動(基本的運動形態といいます)を行うことは「絶対値」の問題を除けばそれほど困難ではありません。一方、ボールゲームに代表される複雑な身体運動の実現には経験と訓練が必要です。
 マラソンやロードレースは、特に陸上競技を経験していなくとも参加することができます。他のスポーツをやっていたり、また全くスポーツを経験していなくとも、ある程度のトレーニングを行えば誰でも完走することができます。これが基本的運動形態である「二足走行」のランニングが広く支持される大きな要因であるような気がします。人を特徴づけてきたランニングが、身体各組織とのメッセージ物質のやり取りを支え、海馬の神経新生や免疫システムの暴走を改善し、結果として身体の健康状態の維持や認知機能の向上を実現してヒトの大型化した脳‐神経系の機能を支えているようで、まさに「二足走行」がヒトをつくり、それがヒトの自己実現を支えているようなのです。
 

運動により分泌されるメッセージ物質

 運動の継続的実施により、身体各部から様々な伝達物質が分泌され全身のネットワークを形成していることが指摘されています(NHK:”「人体」神秘の巨大ネットワーク” シリーズなど)。
 運動の実施により副腎からアドレナリンやノルアドレナリンという「カテコールアミン」が分泌され、血糖値の上昇や心拍数や血圧の上昇を引き起こすことは昔からよく知られています。
 しかし最近は、それ以外にも運動にともなって筋から分泌される様々な物質(マイオカインと総称されます)が私たちの身体機能に大きな影響を与えていることが解明されてきており、インターロキシンー6(IL-6)はその代表格です。不思議なことにIL-6は関節リューマチなどに関わる炎症性タンパク質なのですが、運動により骨格筋から分泌された場合には免疫細胞の暴走(サイトカインストーム)を誘発する物質を抑制することが指摘されています。また細胞の成長に関わるインシュリン様成長因子(IGF-1)や神経の成長を促す脳由来神経栄養因子(BDNF)、血管の新生を促す血管内皮成長因子(VGEF)や組織の形成を助ける線維芽細胞成長因子(FGF-2)といったメッセージ物質が運動実施によって増加することも指摘されています。ハーバード大学の精神科医・レイティ先生は、これらの物質が向精神薬と類似した反応を引き起こすとして、薬物療法と運動療法を併用することにより「ストレス」「うつ」「ADHD」「パニック障害」などの改善に大きな効果を示すことを指摘しています(脳を鍛えるには運動しかない!、NHK出版、2009)。
 このような身体運動実施にともなって様々なメッセージ物質が分泌されるというメカニズムの背景には、私たち人類の数百万年にわたる進化の歴史が反映されているようなのです。我々のご先祖様は、420万年前頃から狩猟採集活動を基本として進化してきました。そして180万年前頃から二足歩行に加えて走行を伴う「持久狩猟」という様式を進化させてきました。30Kmほど仲間と共同して獲物を追いまわし、体温調節のできない羚羊(アンテロープ)などを熱中症にして仕留めるという運動様式を獲得し、その際長時間の走行による疲労や痛みを和らげる「エンドルフィン」や「エンドカンナビノイド」といった自己生産性の鎮痛物質を分泌する機能も獲得してきたようです。
 また、獲物の生態や行動様式を記憶し、コミュニケーションを発達させながら共同する高度な狩猟活動を行ってきたようで、ホモ・エレクトス段階で大型化し発達した人類の脳-神経系と骨格-筋系の高度な協応活動、そして持続的活動を支えるエネルギー供給系(脳には糖質を優先供給し筋には糖質と遊離脂肪酸を利用する戦略)を獲得してきたようなのです。
 ハーバード大学の進化生物学者・リーバーマン先生は、この進化のプロセスで獲得してきた「身体的適応」が現代社会での「文化的適応」との不適合をきたした状態を「ミスマッチ病(ディスエボリューション)」と定義し47の症状を指摘します(人体600万年史~科学が明かす進化・健康・疾病~、早出書房、2015)。

ランニングは脳を大きくさせる?

 先日NHKで「”走る”そしてヒトとなる」が放映されました。筑波大学の征矢英昭先生が、ラットではランニングによって脳の記憶にかかわる海馬の神経新生がみられること、高強度ではなく低強度運動のほうが効果が高いこと、30秒程度のインターバルトレーニング形式4分間でも効果がみられることを紹介していました。
 ラットは基本的に「運動好き」で、回転ケージを一晩で数キロ走り回ります(運動嫌いであまり走り回らないラットもいるようです)。そして運動により学習能力が改善されることも知られています。これは「自発的運動」による効果で、尻尾に重りをつけて泳がせる「強制的運動」ではストレスになってしまうようです。また「曲芸ラット」といって平均台や梯子や不安定な障害物などの環境条件でも小脳の神経成長因子が35%増大することも知られています(グリーノー、2009)。これらの研究は1972年サイエンス誌に掲載された「経験が引き起こす脳の変化」(ローゼンバイクら)という有名な論文がルーツです。ここでは集団で自然環境に類似した飼育条件と食事は与えられるが一匹づつ隔離された飼育条件を「豊かな環境」と「貧しい環境」と定義して脳重量や学習関与物質を比較したものです。そして人間を対象としたさまざまな研究でも身体運動が脳の機能や構造を改善することが指摘されています。
 では翻って、私たち人間にとっての「豊かな環境」とは何なのでしょうか。現代社会を象徴する偏った食事や運動不足、格差や差別や貧困による孤立化や分断によるストレスの増加などはどう考えても「貧しい環境」です。「人間とは何か?」という根源的な問いを考えたとき、ホモ・サピエンスである我々を進化のプロセスの中で特徴づけたものは何かという「自然人類学アプローチ」が必要となります(さらに「貧しい環境」と「豊かな環境」を検討するためには有史以降の文化人類学的アプローチも必要となります)。
 私たち人類のルーツを辿ると「直立二足歩行」が契機となったことは周知の事実です。二足歩行を始めた420万年前のラミダス猿人や370万年前のアファール猿人、石器を作り始めた240万年前のホモ・ハビリスを経て、180万年前のホモ・エレクトスから脳の加速度的大型化が始まります。
 この脳の大型化の要因として、恒常的狩りによるタンパク質摂取量の増加と火の利用による加熱調理での炭水化物の糖質への変化があり、消化吸収効率の改善による腸のエネルギー要求量の相対的減少、長時間の狩猟採集活動を支えた体毛の減少による発汗機能(体温調節能)の獲得、集団的生活と食料の平等な分配を支えたコミュニケーション能力の発達と「社会共同性」の獲得などが指摘されています。
 つまり狩猟採集活動と加熱調理が大きなインパクトとなって身体各臓器への「エネルギー配分(筋に22%、肝臓に21%、脳に20%、心臓に9%、脂肪組織に4%などなど)」と「基礎代謝」と「活動代謝」のエネルギー消費を決定し、人間らしさをかたちづくってきたようで、逆説的に「大型化した脳が身体運動を必要とする」ようなのです(続く)。
 

市民スポーツマンのパフォーマンスは?

 五輪やパラリンピックなどのトップアスリートのパフォーマンスはまさに「心・技・体」の一体化した素晴らしいものとされています。またスポーツ心理学を中心に「フロー」や「ゾーン」といった特殊な心理状態の存在も話題となっています。関西大学の志岐幸子先生は「感性的体験」との関連を指摘し、その現象がスポーツを行っている当事者のベストパフォーマンスを生むことに貢献するものであること。さらに、その間や直後、当事者は幸福感に満たされていることを指摘しています(2013)。旧東欧圏では1960年代から「運動習熟」という概念からの「特殊な意識状態」の存在が指摘され(プーニ:実践スポーツ心理、不昧堂、1967)、山崎は随意運動における「感性的認識」と「理性的認識」との相互関係からパブロフの指摘した第一信号系と第二信号系による運動制御の二重構造モデルを提起し(1984)、さらに実際の運動遂行時には、運動習熟の形成はエネルギー供給系の変容と対応して「調和」を生みだすことを指摘しています(2015)。
 つまり「無意識的(非言語的)」に高度な運動遂行状態が生ずることは、決して「動作の自動化」のみに留まるものではなく、筋疲労の進行に象徴されるエネルギー供給系の変動(減少)にも適切に対応しているようなのです。
 トップアスリートは、日々のトレーニングの継続により高度のスキル獲得を進めるとともにそのスキルを身体や外部の状況に応じて変容させながら実際の試合の場面でも実現できるように「リアリティ」を求めて努力をしているようで、これはフィギュアスケートの演技後半で、同じ「4回転技」であってもより高く評定されることに象徴的なことです。
 では、私たち市民スポーツマンやマスターズ選手ではこのようなことは起こらないのでしょうか?
 私たちは当然100mを9秒台で走ったり4回転4回ひねりを実現するような身体能力は持ち合わせていないのですが、自己の能力の限界内で運動を実施することは可能です。山崎らが小学生の短距離疾走動作のトレーニング効果について、小学生はストライドがスタートからどんどん伸びていって「失速」すること、4週間のスプリント改善ドリルの実施によりストライドが抑えられてピッチが向上し、結果として40m走のパフォーマンスが改善されることを報告しました(1998)。実は1991年東京での陸上世界選手権100m決勝のデータでも、最後逆転されたバレル選手はオーバーストライドで減速したのに対しルイス選手はストライドを抑えてピッチを維持して世界新記録を樹立したことが報告されており「絶対値」は異なるものの類似したメカニズムであることが分かりました。
 ですから市民スポーツマンであっても、それなりのトレーニングを積むことができれば、ゲーム後半の疲労の進行にも「チェンジ・オブ・ペース」などで適切に対応して「上々のパフォーマンス」を実現することは可能だと思います。単純なロードレースであっても、中盤からストライドを抑えてピッチを上げてペースアップをし、そのことが心理的高揚感(”よ~し、このままいければ久しぶりのベストタイムが出る”・・このプロセスはエネルギー供給系でのグリコーゲン動員力も高まります)を伴って達成感と充実感と幸福感を感じながらゴールすることはできるのだと思います。私たちでも適切なトレーニングさえ実行できれば「心・技・体」の一体化は「それなりに」実現可能だと思うのです。
 

「運動能力」はあるのだけれど・・

 「運動能力」には自信はあるのだけれどボールゲームはいまいち・・というケースは何を意味しているのでしょうか?
 これは「運動能力」という概念があいまいな点に起因します。「筋力」や「持久力」といったいわゆる「体力」の概念も定義を明確にして使用しないと「何を現わしている」のかが不明確なのです。
 かつてスピードスケート選手の体力測定で、日本代表のジュニア選手の「握力」が低かったのでコーチが「俺より筋力がないのか・・」と握力の強さを示して見せたという笑い話があります。当然その時点で500mや1000mを滑ればジュニア日本代表の方が速いわけですから「握力」の測定に何か意味があるのか・・ということになります。
 自転車エルゴメーターを利用して測定される持久力の指標「最大酸素摂取量」も「ペダリング運動」のデータですので、長距離走と自転車ロードレース、長距離スケートやXCスキーとでは「運動形態」が違いますので意味するものも異なります。自転車競技選手の最大酸素摂取量の「絶対値」は高いのですが、長距離ランニングの場合は体重が影響しますので「体重当たりの最大酸素摂取量」(ml/kg/min)の方がランニングのパフォーマンスを反映することとなりますし、「乳酸性作業閾値」といって血中乳酸が4mMol/dl 濃度になる時のランニングスピードの指標の方が20Km走やフルマラソンでのパフォーマンスと相関が高いとのデータもあります。
 競技種目別の体力要素の特徴を説明するために下図のようなレーダーチャートがよく用いられます。しかし問題は、例えば「筋持久力」をどうやって測定するのかという「測定方法」が実際の「運動形態」と対応してるのかということです。

 「30秒間の最大腹筋運動(回数)」も筋持久力の指標とされているのですが脚の筋力発揮の指標ではありません。ペダリング運動やステップ運動などの運動形態の類似した測定方法を採用することが重要で、それでもボールゲームなどの複雑な運動形態の反復がその競技で要求される「筋持久力」を代表できるかどうかは疑問です。
 つまり「運動形態」と連動した「運動能力」が重要で、旧ソ連圏のトレーニング理論では「Bio-motor ability」という概念が用いられ、「一般的持久力」と「専門的持久力」、「一般的ジャンプ力」と「専門的ジャンプ力」といった区分が用いられていました。それに対応してトレーニングの「期分け(ピーキング)」の理論が提唱され、シーズン終了からの「移行期」に続く「準備期前半」では一般的能力の改善と向上、「準備期後半」では技術的課題と対応した専門的能力への収斂を経て「試合期」に移行するというシナリオです。
 私たちの身体は大変複雑な構造をしていて「自由度」が高いので、幾つかの基本的運動形態(這・歩・走・跳・投・泳など)とその組み合わせで運動司令を出しているようです。つまり「走」という運動形態を構成する運動能力は、ゼロ発進のダッシュ、一定区間を高速で走るスプリント、長距離を相対的に速く走るランニング、ウルトラマラソンや24時間走など長時間での完走を目指すものなど様々なものが求められます。この「基本的運動形態」とそれを支える「一般的運動能力」と「専門的運動能力」との関係をある程度明確にしたうえでトレーニングに取り組むことが重要なようなのです。 

「マイペース」は一定ではない?

 中~低強度の速度で長時間走り続ける「ディスタンストレーニング」と緩急をつける「インターバルトレーニング」は長距離走の基本練習です。最近では筋で産生される「乳酸の再利用」にかかわってこのインターバルトレーニングの有効性が指摘されています。これは持久力の要求される他の競技にとっても重要な内容で、2018年にNHKで放映された「乳酸パワーで持久力アップ」ではサッカーのサンフレッチェ広島でのトレーニング改善効果が紹介されていました。
 ニュージーランドの著名な長距離コーチ・故アーサー・リディアードは週100マイル(160Km)を基本的トレーニングとして位置付けていましたが、毎日24Km走るよりは36Kmと12Kmを組み合わせて走る方がトレーニング効果が高いこと、また、トレーニング効果があるため長期的には同じスピードでの反復はなく基礎スピードを徐々に上げ、有酸素能力のギリギリのレベルで2時間走り切ることの重要性を指摘します(「リディアードのランニング・バイブル」小松美冬訳、大修館書店、1993年)。
 反復される筋力発揮では、労作間に完全な休止ではなく他の部位を動かすことでパフォーマンスがより改善するという有名な「セーチェノフの積極的休息」の概念があります。クレストフニコフは「長い単調な運動は中枢神経系に疲労の増大をもたらし、運動感覚は失われる。運動を交替したり、諸運動の相互関係をよくみて、正しい一貫性のある運動を選択することにより、大脳皮質における運動能力の高い水準を確保することができる」(クレストフニコフスポーツの生理学、不昧堂出版、1978年)と指摘しています。
 どうやらランニングであっても「同じスピード=同じストライド✕同じピッチ」で走り続けることは中枢性抑制(脳での疲労現象)を引き起こすようです(長距離選手は ”タレる” という表現を使う)。レース中の予想外のペースアップについていけないことは、私たちの自律神経(交感神経)の反応速度とも関係しているようで神経システム上交感神経系が作用して心拍数をあげるために数秒間を要することが指摘されています。一方「そろそろ来るぞ!」と予測をしていた場合には事前対応があるため反応できるようなのです。
 単調に思えるランニング動作でも、レース中に腕をまわしたり、急に先頭に立ったり給水の際に瞬間的にピッチを上げたりすることで中枢性抑制を回避しているとも考えることができます。野球の前田健太投手が投球前に行う「マエケン体操」なども、投動作の反復により誘発される中枢性抑制を回避するための対策なのかもしれません。


 また、私たちのもつ3つのエネルギー供給系と3種類の筋線維から構成される「3×3システム」を考えても、ハイパワー系(クレアチンリン酸系)と超速筋線維系とから構成されるマトリクス(HSF:右上)は中枢性抑制を受けやすいものと考えられます。自転車の速度は、ペダルの重さ(トルク)と回転数(ケイデンス)で決定されていますので、レース中の上り坂では「ギアチェンジ」をして回転数を上げてペダリング負荷を軽減し、解糖系と速筋系から構成されるマトリクス(MF:中中)に主役を移して速度を維持し、その間にHSFマトリクスの中枢性抑制を脱抑制して次のアタックに備えておくといった戦略が求められるようです。東京大学の八田秀雄先生らは、自転車レース中のケイデンスは乳酸性作業閾値で推移しているのではないかとの仮説(日本運動生理学会、2015年)を示されています。
 つまり「マイペース」を維持するということは「一定の状況の維持」を意味するものではなく、レースの展開や身体の運動エネルギーの残存状況に対応してピッチやストライド(ペダリング負荷)を変容させて好記録を目指すという高度な戦略を反映しているようなのです。

何時インターバル・トレーニングが始まったの?

 最高速度以下で一定の距離を競い合って走るという中長距離走のスタイルはいつから始まったのでしょうか?
 立命館大学の岡尾恵一先生は、紀元前772年の古代ギリシャのオリンピア祭では1スタディオン(約191m)を競う競技があったことが記録に残っており、その60年後あたりから2スタディオン走や10往復(3800m)する長距離走も行われていたことを指摘します。18世紀には「賭けレース」として超長距離走が行われるようになり、「マラトンの故事」にならった40Kmを走るマラソン競争は、1896年の第1回近代オリンピックのマラトン~アテネ間で最初に開催されたとのことです。
 長距離走が競争として行われるとそのための「トレーニング」が行われるようになります。TVドラマ「いだてん」を見ても1912年のストックホルム五輪に参加した金栗四三さんが様々な工夫をしてトレ―ニングを実践していたことが分かります。最初のトレーニングはレースと同じように長時間かけて長距離を走る「ディスタンス・トレーニング」が行われていました。1936年ベルリン五輪で金メダルを取ったソン・キジョンさんもこの方法を実践していたようです(孫基禎自伝「ああ月桂冠に涙」、講談社:1985年)。1920年頃からフィンランドの長距離王ヌルミ選手が行っていた「ファルトレック・トレーニング」は、郊外の地形を利用して下り坂で急走をし平地で緩走をするもので、チェコのザトペック選手の「インターバル・トレーニング」につながる方法で、現在も重要なトレーニング手段です。
 つまり、同じペースで長時間(1時間以上)走り続ける方法とスピードを大きく変えて短時間で反復する方法とが混在しているのです。「レペティション・トレーニング」や「ペース・トレーニング」といってレースで目標とするスピードでレースの1/4程度の距離を十分な休息を挟んで繰り返す方法も実践されています。
 面白いのは実際のレースでは一定の「速度✕距離」で行われているのに、それを目指す現在のトレーニング方法は「速度を抑える」か「距離(時間)を抑える」かという矛盾した方法をとっていることです。つまりマラソンを走るために42.195Kmを想定タイムで走り切るという「リアリティ」を重視したトレーニングは生体へのダメージも含め「非現実的」なようなのです。
 では何故インターバル・トレーニングのように「強度と時間を変化させる」方法が有効なのでしょうか?
 根源的な問題は私たち人類の進化史があるようで、180万年前のご先祖様「ホモ・エレクトス」は、体温調節機能を持たない羚羊類を30Kmにわたって追いかけて体温調節不全(熱中症)を引き起こして仕留めた「持久狩猟」を行っていたことが分かっています。仲間と協働して足跡を確認し、先回りして追いまわして最後にとどめを刺していたのですが、この際に発汗による体温調節機能と動き続ける脚の疲労や痛みを緩和する「エンドルフィン」や「エンドカンナビノイド」という自己生産性鎮痛物質生産性も獲得したようです。当然「一定速度」で追跡していたわけではなく仲間と状況を確認しながら協働して走っていたわけですので、とどめを刺す時は筋出力での最高速度が必要ですがそれ以外ではコミュニケーションの取れる状況(運動強度は高くない)で走っていたものと思われます。
 どうやら私たちの身体は運動強度が連続的に変化(アップ&ダウン)する方法により大きく反応するようなので、パフォーマンス改善を目指すトレーニング方法は様々な工夫が求められています。また低強度で長時間走り続けるトレーニングは基本的課題ですので全練習量の2/3を占める必要性が指摘されています。月600Kmを走るとすれば400Kmは「のんびり」走ります。パフォーマンス改善を目指してインターバル・トレーニングなどを300Kmまで増やすと600Kmの「のんびり」走が求められます。エリートランナーが月間走行距離1500Km・・といっても1000Kmは「のんびり」走っているようなのです(ケニアのランナーの練習メニューは若干異なるようです)。