遺伝子解析とゲノム編集

 

 21世紀にはいって遺伝子解析の急速な発展が起こり「次世代シークエンサー」といわれる解析手法を用いた全ゲノム解析が進み、それに関わり幾つかの運動機能に関連する遺伝子(遺伝子多型)が特定されてきています。順天堂大学の福典之先生は、筋力・筋パワーや最大酸素摂取量、速筋と遅筋の筋組成に関わる遺伝的要因の関係について56の遺伝子座が検討されていることを指摘しています。速筋線維の構造に関連するACTN3遺伝子多型で有名なRR型・RX型が速筋系筋線維に発現するのに対しXX型と持久的能力との明確な対応はみられないこと、国際級の長距離ランナーではRR型やRX型の頻度が高いこと、血管収縮に関連するACE遺伝子に関してはアジア人とヨーロッパ人では表現型が異なること、有酸素的能力に関与すると考えられる細胞ミトコンドリアDNA多型(全ゲノムDNAとは異なる)にも持久的能力だけではなく瞬発系の運動能力にも関与する「ハプログループ」が存在しることを指摘しています。これらの遺伝子多型の解析は選手の運動能力の「適性判定」に寄与する可能性があることも論議されています。(福典之、DNAとパフォーマンスの関係、SPORTS SCIENCE MAGAZINE、ベースボール・マガジン社、2015年)
 一方、iPS細胞に代表される遺伝子操作に関わる革命的方法の進展は、研究者からは「ある意味ではヒトをつくるほうが簡単」とのコメントも寄せられています。「ミオスタチン」という筋再生にかかわるホルモンは食用のため「簡単に筋肉の多いの動物(当然食料利用の生産性需要が高い)」をつくり出しており、このミオスタチンの遺伝子操作をすれば「筋力アップ」した「人間」が誕生する可能性は否定できません(というか懸念されています)。
 スポーツ工学のシェフィールド・ハラム大学のヘイク先生は、身体能力の増強に関して世界アンチドーピング機構(WADA)が治療に関わるTUE申請で、治療に限って幹細胞治療を認めているのですが、そのドーピング利用の可能性に懸念を示しています。マウスの実験では遺伝子改変による遅筋系筋線維の増加や肝臓や腎臓の脂肪組織における代謝を亢進させるPEPCK-C酵素を改変した「スーパーマウス」の事例も報告され、貧血治療に用いられる「レポキシジン」使用の可能性も懸念しています。(S.ヘイク:藤原多伽夫訳、スポーツはどこへ行く:スポーツを変えたテクノロジー、白揚社、2020年)
 2018年中国での双子の胎児へのゲノム編集を行いエイズウィルスへの耐性を持つ遺伝子操作を実施したことが倫理面を含め大きな話題となりました。また「優性教育」を標榜する中国政府のスタンスから受精卵へのゲノム編集実施(いわゆる“デザイナー・ベイビー”)を加速するのではないかとの懸念も持たれています。難病治療のための遺伝子操作の可能性と“人間改造”の可能性がどこまで許容されるかはまさに“未来への分岐点”なのかもしれません。(堀内健太、ゲノムテクノロジーの光と影:テクノロジーは神か悪魔か 2030 未来への分岐点Ⅱ、NHK出版、2021年)

治療も制限されるのですか?

 ドーピング禁止薬物の多くは病気の治療のために開発されたもので、人類の英知ともいえる治療薬がパラリンピックまで含めてスポーツの価値に影を落とすということは何とも皮肉なことです
 アスリートも生身の人間ですから病気も怪我もしますので治療を受けなくてはいけません
 ところが治療に使われる薬は禁止薬物リストにあるものが多いので対応する医師は「TUE(Therapeutic Use Exemption)申請」をする必要があります
 参加する大会の30日前までにこの申請がない(もしくは申請が却下される)と禁止薬物・禁止方法違反としてドーピング規則違反となります(医師のためのTUE申請ガイドブック、(公財)日本アンチドーピング機構、2020年)
 その基準は、①使用しないと健康に重要な影響が出る、②他に代えられる治療方法がない、③健康を取り戻す以上に競技力を向上させない、④ドーピングの副作用に対する治療ではない、の4つで、特に③と④は難しい選択が求められます
 この意味で、トップクラスのチームのドクターの仕事は、治療やコンディションの維持とともにドーピング検査への対策でもあるといえます
 現在五輪や世界選手権に出場するレベルの選手は、世界アンチドーピング機構(WADA)や各国のアンチドーピング機構による大会ごとの検査や競技会以外の抜き打ち検査(Out of Competition)を受ける義務(選手本人の同意が前提)が課せられています
 また選手個人のデータベース化(ADAMSシステム)も進んでいますので、例えば血液検査で酸素を運ぶ血中ヘモグロビン値が「正常範囲」を逸脱していないかなどもチェックされています
 しかしドーピングを隠ぺいする方法も年々巧妙化しています
 ロシアでは、尿検査での「A検体」「B検体」を検査室内の「ネズミの穴」を使ってすり替えていたことが発覚し、競技団体やオリンピック委員会から独立しているはずのロシアアンチドーピング機構は現在資格停止中です
 かつて東独では、男性ホルモンであるテストステロンと代謝産物のデヒドロテストステロンとの正常な比率を維持するために筋肉増強剤摂取とともにデヒドロテストステロンを注射するという方法を用いていました
 オーストラリアでは犯罪組織がドーピングを利用して選手との関係を深め脅迫をして競技結果を覆す八百長(スポーツ賭博の利権)を行っていた報道もありました(NHK:見えないドーピング、2014年放映)
 また、今回の北京五輪での混乱は、国威発揚に利用しようとする政府のメダリストやスタッフへの過度の報償制度とともに巧妙な組織ぐるみのドーピング(選手・コーチ・医師・栄養士を含めたシステム)を誘導しているとの疑惑も問題となっています
 一方、トップアスリートだけではなく、私たちの周りにも「サプリメントと称する妖怪」が跋扈していて、高校生などが指導者から情報を得て摂取している実態(高校長距離選手での「鉄材注射」に日本陸連は禁止措置を出しています)もあり、スポーツの価値に影を落としているとともに選手の心とからだの健康を脅かしていることも事実なのです

ドーピングは何故いけないのですか?

 北京冬季五輪・女子フィギュアスケートで、15歳のロシアオリンピック委員会(ROC)・ワリエワ選手のドーピング問題が話題となっています
 禁止薬物であるトリメタジジン(心臓病の薬)に加えて、禁止薬物ではない「ハイポクセン(2017年米アンチドーピング機構がリストアップを主張)」や「L-カルニチン」も検出されており疑惑が深まっています
 またロシアなの・・というコメントが多いのは、ロシアの場合は選手やコーチ「個人」の使用ではなく競技団体やアアンチドーピング機構(RADA)自体も関与する「国家ぐるみのドーピング」が行われている疑惑があるからです(旧東ドイツの国家ぐるみのドーピングである「国家計画14.25」は研究機関とアンチドーピング機構をも含むトータルシステムでした:NHK「汚れた金メダル」2016年放映)
 実はロシアの国家ぐるみのドーピング疑惑は、2010年のバンクーバー冬季五輪で不振を極めたロシア選手団(冬季五輪はロシアの看板種目)に対してプーチン大統領が「怒りの檄」をとばしたことで本格化したとの噂もあり、ドーピングによる競技力向上は「最も経費の掛からない強化方法」なのです
 ただワリエワ選手はだれが見ても「とびぬけた能力がある」ように思われドーピングなどは必要がないように思います、だからこそ逆説的に「組織的ドーピング(誰彼構わず適応する)」が疑われているのかもしれません
 ではドーピングはなぜいけないのでしょうか?
 「使用禁止薬物使用」や「規制違反」が根拠としてあげられるのですが、では何故禁止や規制があるのかということとなります
 旧東ドイツでの筋力増強剤などの過度な使用は、重篤な後遺症や女性の男性への転換など健康上の重大な被害を引き起こしました(全国的な救済組織が活動している)
 「健康被害」は本当に深刻な問題で、統計的に計上されていない死亡例は相当数に登ると指摘されています
 かつて、現在も女子400mの世界記録(1985年)保持者であるマリタ・コッホ選手が「普通の身体に戻すトレーニング」をやらざるを得なかったとする映像が放映されました(NHK:東独のスポーツ、1987年放映)
 また「スポーツの価値」として考えれば、ドーピングによって樹立された記録や栄光はあくまでも「偽物」であり選手本人の自己肯定感や人生観自体を崩壊させてしまうもので、スポーツの公正性やフェアプレイ精神を根本から覆すものにほかなりません
 一方、選手強化システムとして考えれば、経済的な問題から十分なトレーニング環境のサポートが得られない国の選手やチームがあるのも事実で、ドーピング以外の潤沢な競技サポートを受けることができているスポーツ大国の選手やチームとの「不平等感」「不公正感」は依然として残ります
 スポーツの成果を高めるためには「トレーニング」「食事」「休養」の組み合わせによる「スポーツライフ・マネジメント」の重要性が指摘されています(筑波大学名誉教授・鈴木正成先生)
 実はドーピングはこのプロセスに「一つの間違い」として侵入してくるもので、ビタミン剤などのサプリメント摂取との境界は不透明で、唯一「禁止薬物リスト」「規制違反」が根拠となり、現在では禁止薬物リストにないものでも「効果」を認識して使用するとドーピングと認定されます(続く)

「無意識のうちに対応して・・」は可能なのですか?

 トップクラスのテニス選手の試合を見ていると高速でラリーを続けていながらも何らかの「仕掛け」をしてポイントを取っているように見えます。練習では何種類かのハードで正確なラリーを延々と続けられるのですから、どこかでそれを崩すことがなければゲームは動きません。明確なのはネットインなどの「イレギュラーショット」ですが、これは適切な打点を判断してロビングや短いショットで返したりする「つなぎのショット」で対応しているようです。
 通常のラリーはフォアハンドもバックハンドも「ストレート」「ロングクロス」「ショートクロス」と「フォア逆クロス」を含めてほぼ7通りくらいの選択肢があるように思います。しかし対人状況下でゲームは進行しているのですから、相手のポジショニングと相手のショットに応じて瞬時に適切なストロークを「選択」しているようで、相手を追い込んで何本目かに「エースショット」でポイントを奪います。
 この際、「どのコースにどのショットを打つか」という「プランニング」には大脳基底核と前頭連合野が関与しており、フォアハンドのショートクロス動作を選択する「プログラミング」には動作を発現する大脳皮質運動野が、相手のショットに応じてショートクロスを補正するには小脳外側部がかかわっており、ショートクロスを打ち始めるタイミングの決定にも大脳基底核が関与していると考えられています。
 つまり前頭連合野・運動野・小脳・大脳基底核が連携して働いているようで、ナイスショットが決まった時には大脳基底核の近傍の大脳辺縁系の記憶に関わる海馬と情動に関わる扁桃体という部位も働いていて、ドーパミン作動性の「褒賞系」システムも連動します(まさに ”褒めてやらねば人は動かじ” )。
 このようにショットが成功している際には言語系は背景に隠れているのですが、ミスが続くと「あれ?」という定位=探求反射(おや-何だ反射)が発生して言語的修正が必要となります(当然現行動作系は中止する)。そして修正が成功すると再び言語系は背景に退きます。「無意識のうちに対応している」のは感覚系内での処理が可能な範囲のようなのです(シューティングゲームでしゃべりながら動作をしていては間に合わないように・・)。
 ところが状況が予想外に急変した時にはもう少し速い対応があるようです。ネットプレーに出たときに相手のショットが予想外に強かった時に「あっ、アウトする」とグリップを緩めたボレーで対応するようなケースです(本当に調節しているかどうかはわかりませんが)。これは、膝蓋腱反射などの「脊髄反射」よりももう少し長くて「意識的調整」よりは短い「長ループ反射(M2)」が背景にあるようで、感覚器のから信号が脊髄を上行して感覚野・運動野経由で下行して筋に戻ってくるようで、システムのリセット効果ではないかともいわれています(松波、1986)。
 人類の進化を考えても、私たちが現在のような豊かな言語系を獲得したのは「つい最近の出来事」なので、身体運動の実現は通常は「視覚情報」や「筋感覚情報」や「平衡感覚情報」などを手掛かりに「感覚依存性運動(運動前野が関与する)」で「無意識のうちに対応して」いるようなのです。

「巧みさ」を決めるものは?

 ロシアの生理学者・ベルンシュタインの「デクステリティ 巧みさとその発達」(工藤和俊訳、金子書房、2003年)は、1940年代に執筆されたものの旧ソ連内での「パブロフ理論」に従わない「機械論」として批判され(ユダヤ人であることも関連していた?)、1991年に至って初めて出版された名著です。特に「運動構築の水準」という概念は身体運動制御の自由度に関わる理論であるとともに、運動障害に対する理論的知見を示したものとして障がい者教育にかかわる人たちからは高く評価されてきました(ワイズマン:茂木俊彦訳、知恵遅れの子どもの運動機能と脳、ミネルヴァ出版、1978年)。一方1967年には「The coordination and regulation of movement」という著書が英訳・出版され、これはヨーロッパの運動の制御に関わる研究者の間では現在も極めて高く評価されています。
 ベルンシュタインは、進化の歴史(系統発生史)から見て大脳基底核の「淡蒼球」など運動制御上の脳の旧い部分から「脳の摩天楼」のように大脳皮質に至るまでA~Dの水準とその関与を例示しています。例えていえば、緊張のレベルAでは走姿勢の保持、筋関節のレベルBでは走動作、空間のレベルCでは陸上トラック上を走ること、行為のレベルDでは400mでベストタイムで走ること・・と解釈できます。つまりそれぞれの水準が系統発生的な起源を持ちそれが再構築されて「巧みさ(デクステリティ)」を実現しているという理論です。
 岐阜大学名誉教授の松波謙一先生は、熟練した運動における運動前野の働きが、動作補正に関わる小脳外側部との結合が強いことに加えて大脳基底核の歯状核や尾状核、被殻との連絡も強いことを指摘し、大脳-基底核-間脳・脳幹-脊髄とつながる「キュー(辮髪)」という概念を示唆されています(運動と脳、紀伊国屋書店、1986年)。また、ヒトとクジラの小脳を比較し、ヒトでは手指の運動の関わる小脳外側部が優位であるのに対してクジラでは体幹の運動に関わる小脳中間部外側が大きくなっていることをから進化のプロセスで求められた運動様式に対応して機能発達と再編が生じている可能性を示唆されました。
 このことは系統発生的に古い神経システムであっても系統発生的に新しいシステムと連携して円滑な運動遂行を可能としていることがうかがわれ、「運動構築の水準」は決して機械論的な決定論ではなくヒトの運動の「背景調整どうしの調和を作る段階」で運動スキルの形成を実現しているようなのです。
 「巧みさ」を実現するシステムは、大脳皮質運動野での運動経過を小脳や大脳基底核などがトレーニングの繰り返しの中で再編され、そのなかで緊急事態に対応する大脳基底核の「直感」システムが形成されているようなのです(続く)。


 

「直感」のメカニズムってあるのですか?

 先日NHK:ヒューマニエンス ”天才のひらめき” が放映され、将棋のプロ棋士の「直感」について理化学研究所の田中啓治先生がMRI(核磁気共鳴で活動状況を解析する方法)で分析した結果を紹介し、アマチュアと比較してプロ棋士では「大脳基底核」が働いているとのデータを示されました。同じく出演していたプロ棋士の田中寅彦9段は「アマチュアは ”算数” を解いている感じだが私たちは ”音楽・芸術” をやっている感じで上手くいくと ”楽しい” 」との大変印象的なコメントを残されています。
 ある局面で、プロ棋士が「いくつか浮かぶ打ち手」のうちから直感的に最善手を選ぶ際(1秒間)に働いているようで、アマチュアの方でも「詰将棋」で徹底的にトレーニングすると大脳基底核が働きだすとの田中啓治先生のデータも紹介されました。いくつかの打ち手が大脳皮質で企画されて大脳基底核にも送られ「咄嗟の(的確な?)判断」の際には大脳基底核が働いているようなのです。
 大脳基底核の機能は「ほとんどの回路を抑制して必要な回路のみを脱抑制する」とされていて、障がいを受けるとパーキンソン病やハッチンソン舞踏病が発症します。身体が本人の意志とかかわりなく勝手に震えたり動いたりするもので、ディレクターとしての大脳基底核が機能不全になりそれぞれの部位が勝手気ままに動こうとするようなものとされます。また、円盤投やハンマー投でターン中の絶妙のタイミングで投擲物をリリースすることやバッティングでの「今だ!」という絶妙のタイミングでスイングを開始することにもかかわっているようです。
 大脳基底核はいわば「旧い脳」で、オタマジャクシのようなかたちで、大脳皮質のように通常意識(言語)にのぼってくることははないのです。玉川大学の丹治順先生は、大脳基底核は、大脳皮質から多くの入力を受けていてそのほとんどを「止めて」いて、必要な時にある回路(最善の打ち手も?)のみをリリースしていると指摘します(脳と運動、共立出版、1999)。
 これは私たち人類の進化のプロセスを考えても、危機的状況下でのストレス反応に対応し、非常スイッチの扁桃体が記憶に関わる海馬の受容体にストレスホルモンを送って「適切な記憶」を形成することが知られており、この際大脳基底核は「戦うか逃げるか(Fight or Flight)」の咄嗟の行動選択に重要な役割を果たしているようなのです。
 ひるがえって考えると、スポーツの場面でも「咄嗟の動作選択」が行われているようにも思いますが、ではそのメカニズムは同じなのでしょうか?(続く)

プレー中ガムを噛むことは?

 外国人の野球選手がバッティングに際してガムを噛んでいる映像が良く見られます。日本的感覚からいうと「お行儀が悪い」とか「集中できないのでは」など批判的なコメントが多く寄せられます。仮にバッティングに支障があるとすれば、いかに文化的習慣が違うとはいえ多くの選手がプレー中にガムを噛んでいることはないものと思われます。何か効果があるのでしょうか?
 私たちがかつて実験した結果では、ガムを噛み続けながら反応時間を測定すると「何もしない状況」よりも反応が速くなる結果が得られました。そして「噛みしめ続けている」と逆に反応時間が遅くなることも分かりました。これは「関節固定」にかかわって素早く動作を切り替えることができなくなるためと考えられます。
 噛むことに関わる咀嚼筋の中心「咬筋」という筋肉は大変面白い筋肉で、食物の形状や硬さに応じてリズミカルな開口と閉口の咀嚼運動を調整します。ガムを噛む場合とナッツを噛む場合では対象の硬さや大きさの変化を感知し脳幹に存在する神経回路を装飾して適切な咀嚼運動を実現します。
 230~130万年前に存在し絶滅した「パラントロプス」というご先祖様は硬い根や豆などを「噛み砕く」ために咬筋に加えて強大な「側頭筋」を持ち頭蓋骨最上部はウルトラマンのような矢状突起があって丸い顔をしていたようで噛む力は私たちの3~6倍(ちなみに私たちの噛む力は体重相当といわれています)あったようです。一方私たちに直結する「ホモ・ハビリス」は多様な食物を摂取していたようで側頭筋の発達はありませんでした。実は私たち現代人の一食での咀嚼回数は600回で、弥生時代の復元食から推定される4000回に比べるとずいぶん少なくなっている(日本咀嚼学会・斎藤滋先生)ようですが、食材や加工調理技術の変容があっても基本的な咀嚼に関連する機能は変化していないようにも思います。
 咀嚼活動にともなう咬筋からの筋感覚の信号は脳への「覚醒信号」の役割を持ちます。咬筋からの感覚シグナルは「脳幹網様体賦活系」という脳全体を覚醒させるシステムを通じて脳‐神経系の活動レベルを高めます。自動車を運転していて眠気が襲ってきたときにガムや昆布やスルメを噛むことが覚醒水準を上げることは私たちも経験することです。石川県立大学の小林宏光先生は、カツオの燻製など硬い食べ物を幼稚園児に3か月間給食で提供したところ知能テストの成績が向上したことを指摘しており、認知症の高齢者の方が自力で食事摂取ができなくなる(チューブ食や胃ろう手術など)と重症化するとの症例を考えてみても、咀嚼運動の継続が脳の覚醒水準を向上させることがうかがえます。
 マウスガードの着装時も「噛みしめ続けている」と円滑な運動の遂行や切り替えを妨げる可能性もあることからも、プレー中にガムを噛むなどの「適切な口内咀嚼環境」を維持することはパフォーマンスの改善に有効なのかもしれません。

スポーツで使う「マウスガード」って何ですか?

 アメリカンフットボールなど激しい接触を伴うスポーツ実施の場合には口の中に「マウスガード」を入れてプレイをしていて、ヘルメットからアタッチメントを介してぶら下がっていると「何コレ・・」と思ってしまいます。
 口腔内の保護の意味もありますし歯をくいしばることで「筋力発揮」に有効ともいわれ、自転車のロードレースなどでも最後の「ゴールスプリント勝負」に備えて、その直前にポケットから取り出してくわえていることもあるようです。インターネット上でも販売されていて、お湯で温めてから「喰いしばって」自分の歯型に合わせて使用することができます。
 ところが私たちが行ったウェイトリフティング選手の研究(2009)では、自分の歯の咬合状態から4ミリ以上厚いマウスガードを使用した場合にはパフォーマンスの低下を招く可能性があることが分かりました。バーベルを一気に頭上に引き上げる「スナッチ」動作では、4ミリ厚のマウスガードでは動作に関わる筋電図解析で「関節固定」の傾向が強くなったのです。これに対して歯科医が製作し調整した3ミリ厚のマウスガードではそのような傾向はみられませんでした(新潟国体マウスガードプロジェクト報告書)。動作の筋電図解析では、必要な筋活動は基本的に「拮抗性」が求められますが、曲げる筋群と伸ばす筋群が「協働性」に活動すると「関節固定」をしてしまい動作の効率的遂行を妨げてしまします。いわゆる「力んだ」状態です。
 筋の活動には動作に関連して拮抗的に働く「Phasic Factor」と動作全体を背景的に支える「Tonic Factor」があります。マウスガードを必要以上に厚くしてしまうと「噛みしめ」による「協働性収縮」を誘発してしまい、その動作に必要な「拮抗性収縮」による「動作の切り替え」を妨げるようなのです。これはウェイトトレーニングの負荷(重量)設定でもいわれていることなのですが「最大挙上重量」では必要のない筋群の参加と動作を妨げる「関節固定」を招くようです。トレーニング効果の確認のためには必要かもしれませんが、日常的に行うトレーニング課題としての「1RM(1回挙上最大重量)」は多分必要がないように思います。現実的に考えても「全力」は決して「最大のパフォーマンス」をもたらすわけではないのです。
 この点で必要以上に厚いマウスガードの使用は、「安全確保」のためには有効なのですが「パフォーマンス向上」のためには「制限因子」になっている可能性があるようなので、この研究は新潟の歯科医師会の先生方と「経験主義はダメ」「専門医にケアをお願いする」というキャンペーンになりました。
 

「ストライド走法」か「ピッチ走法」か?

 2022年1月16日の都道府県対抗女子駅伝で、只今注目の群馬県:不破聖衣選手が4Km区間で13人抜きの大会新記録を更新し「伸びやかなストライドで・・」と表現されました。一方2021年9月5日東京パラリンピック女子マラソン・視覚障害の部で金メダルの道下美里選手は1分間240歩という驚異のハイピッチで走ります。2000年シドニー五輪・マラソン金メダルの高橋尚子選手は1分間209歩のハイピッチ走法とされ、2004年アテネ五輪金メダルの野口みずき選手は身長と同じ150cmでストライド走法とされています。男子の谷口浩美選手は1分224歩のハイピッチ、大迫傑選手は180cmのストライドです(日本陸連HP:野口純正氏データより)。
 では「ストライド」と「ピッチ」との関係はどうなっているのでしょうか?
 疾走速度は歩幅(ストライド)と回転数(ピッチ)の掛け算で決まります。その「一歩ごとの速度の積み重ね=タイム」が歩幅と回転数のどちらによってより強く影響されているのか(相関分析)を検討すると面白いことが分かります。山崎は全日本大学駅伝に出場するレベルの選手たちの10000m走における疾走速度とピッチとストライドの関係を分析し、8800m(後半)でスピードとピッチとの相関が全員高まること(決定係数90%以上)を指摘しました。面白いことにこの現象は中間の4800mではあまり見られなかったことです。また、日本インカレ入賞レベルの選手ではストライドが選手中一番長かったにもかかわらずスピードとピッチとの相関が高く、ストライドの一番短かった他の選手ではスピードとストライドの相関の方が高かったことを報告しました(2013年)。
 つまりストライドが長いからといって単純に「ストライド走法」であるとかピッチが高いからといって単純に「ピッチ走法」であるということではなさそうなのです。これは短距離走でも同じことで、適正ストライドによる高いピッチの維持が「ベストタイム」を生みだすために重要であること、前半と中盤と後半でエネルギー供給系の変容(疲労感?)に応じてピッチとストライドの関係を変化させることが戦略として重要であることを意味します。おそらく不破聖衣選手や田中希美選手はこの「切り替え能力」が極めて高いのではないでしょうか。また、「同じストライド✕同じピッチ≒同じスピード」で走り続けることは脳の「中枢性抑制」を引き起こすことが考えられ、動作を変容させることによる「脱抑制」の発現を促して「セーチェノフの積極的休息」と同等のメカニズムを駆動しているのではないかと考えています。
 山崎はフルマラソンのトレーニングとして「ハイブリッド2時間走」を提起しました(ランナーズ 2013年4月号)。1時間たったらストライドを短くしてピッチアップしてさらに1時間走り続けるトレーニングで、グリコーゲン枯渇で出力系が低下してもストライドを短くしてキック力への負担を減らして走り続ける練習方法です。自転車の登り坂でギアチェンジをしてペダル負荷(ストライド)を軽減して回転数(ケイデンス・ピッチ)を上げて速度を維持して登りきるイメージとなります。
 どうやら走運動の原理は「ストライド」と「ピッチ」のコントロール能力の獲得がカギを握っているようなのです。

「二足走行」がヒトをつくった?

 サルでもチンパンジーでも人間が訓練をすれば「二足歩行」をすることができます。これは生態学の故・伊藤嘉昭先生が提唱した「2つの運動革命」の第1段、樹上生活での「腕歩行(Brachiation)」による肩関節の変化と脊柱の直線化が貢献しています(人間の起源、紀伊国屋書店、1966)。背骨が真っすぐであれば直立することは容易で、実は赤ちゃんが立ち上がった際は背骨のS字湾曲はまだ出来上がっていません。また、人類学の馬場悠男先生は、チンパンジーなどでは腰椎が4個であるのに対して二足歩行を始めたアファール猿人などは腰椎が6個であり、これに対してホモ・サピエンス段階では5個であることを指摘します(私たちはどこから来たのか、NHK出版、2015)。アファール猿人の二足歩行はチンパンジーとは異なり(サルやチンパンジーは踵骨が十分に発達していないのでうまく歩けない)しっかりと歩いていたようです。
 ホモ・エレクトス段階で「持久狩猟」が始まったことが知られており、30Kmにも及ぶ持久狩猟を実現するためには「二足歩行」ではなく「二足走行」も可能でかつ体毛が減少して発汗による体温調節が可能になっていることも必要でした。ハーバード大学の進化生物学者・リ-バーマン先生は、人間の脚は大きなばねのように作用し効率よく片足でジャンプしてからもう片足で着地できることを指摘し、大きなアーチの足底と長いアキレス腱にエネルギーを蓄積して再利用する可能性を指摘しています。また大殿筋の発達や項靭帯の存在が走動作を支え、さらに発達した三半規管が不安定な状況下での速い移動を可能としたことを指摘します(人体600万年史~科学が明かす進化・健康・疾病、早川書房、2015)。
 当然、これらの移動方法と狩猟用具の革新(投擲具アトラトルなどの発明)、加熱調理などの食料メニューの革新などなど進化に関連して「共進性」と呼ばれる様々なプロセスがあったことが、ホモ・エレクトス段階からの脳の加速度的な大型化を支えてきたともの考えられます。そして、逆説的にそれらの共進性を構成する要因を実現することができない場合にはヒトとしての特徴を十分には発達できない可能性があります。これは現代社会の健康を阻害する様々な要因ともなっています。
 ヒトの解剖生理学的な構造上「歩」「走」「跳」「投(これは樹上生活での腕歩行と対応?)」「打」などの身体運動(基本的運動形態といいます)を行うことは「絶対値」の問題を除けばそれほど困難ではありません。一方、ボールゲームに代表される複雑な身体運動の実現には経験と訓練が必要です。
 マラソンやロードレースは、特に陸上競技を経験していなくとも参加することができます。他のスポーツをやっていたり、また全くスポーツを経験していなくとも、ある程度のトレーニングを行えば誰でも完走することができます。これが基本的運動形態である「二足走行」のランニングが広く支持される大きな要因であるような気がします。人を特徴づけてきたランニングが、身体各組織とのメッセージ物質のやり取りを支え、海馬の神経新生や免疫システムの暴走を改善し、結果として身体の健康状態の維持や認知機能の向上を実現してヒトの大型化した脳‐神経系の機能を支えているようで、まさに「二足走行」がヒトをつくり、それがヒトの自己実現を支えているようなのです。