「動き(スキル)の獲得」が先行する・・?

 トレーニングはその種目やポジションの「特異性」に合わせて実施されます。250Kmの自転車ロードレースと42.195Kmのフルマラソンとではともに高い持久力が求められますが、持久的能力の発揮の仕方が異なります(ペダリングとランニング)。ペダリングでは「アンクリング」といって真下ではなくやや前方に踏み込むテクニックが求められますのでサドルの前後位置も調整が必要です。またレース中の回転数(ケイデンス)も90~110回転/分と高いので、通常の自転車エルゴメーターの測定で用いられる60回転/分のプロトコールではレースの状況とも合致していません。筋の「3×3システム」から考えても、60回転/分では速筋線維×ハイパワー系に負担がかかってしまいます。

 一方ランニングでも踵から接地する「ヒールストライク型」では推進力にブレーキ要因が発生しますので「フラット型」や「フォアフット型」の接地が有利になりますので「ストライドをやや狭くしてピッチを上げる戦略」をとることでランニングのエネルギー効率が改善されます。最近話題の「カーボンプレート内蔵の厚底シューズ」はこの接地方法のランナーのエネルギー効率(ランニングエコノミー)が高くなることが指摘されています(丹治史弥他、カーボンファイバープレート内蔵厚底ランニングシューズによるランニングエコノミーへの影響、ランニング学研究 Vol.32、2023年)。

 つまりトレーニングのプロセスでは「効率的な動き(スキル)の獲得」が先行するのであって、効率の悪い動きのままではトレーニング効果は限定的になってしまいます。また、レースの進捗に伴いエネルギー供給系が「変容(筋疲労の進行だけではなくレース戦略の変更も含む)」してきます。この点で変容したエネルギ供給系の「モード(ハイパワーモードとミドルパワ-モードの比率など)」に応じて運動スキルを変容させて破綻をきたさない戦略が必要になってきます。これがいわゆる「適応制御」としての「巧みさ」です。「いろいろな動きができること」ではなく「状況に応じて適切な動きに切り替え」「破綻をきたさず最適な運動経過を継続する」ことが重要なのです。

 この時、脳内での「大脳基底核」の働きが重要であることが指摘されています。複数の動作の選択肢の中から最適な経過を予測して上手く実行した場合にはその「予測誤差」が少ないことが「褒賞系(ドーパミン系)」を作動させるようなのです(強化学習)。まさに「褒めてもらう」ことが直感的な判断を支えているようです。

「ミトコンドリア」が増える?

 東京大学の八田秀雄先生は、「乳酸いき値トレーニング」は80%強度より少し高めの運動強度で数分間実施することにより筋線維(特に遅筋線維)内の「ミトコンドリア」が増殖するというトレーニング効果を指摘します(八田英雄、乳酸を使いこなすランニング、大修館書店、2011年)。筋肉は遅筋繊維と速筋線維から構成されている(混在しているが協働で収縮する)ので、速筋線維で生ずる乳酸を遅筋繊維のミトコンドリアがエネルギーに変換するという「乳酸シャトル」という概念です。またミトコンドリアの増加とともに筋の毛細血管網も発達する(運動により血管内皮成長因子などが分泌される)ので「有酸素的能力」が向上します。
 また60%強度のランニングは「基本的トレーニング」とされ、全練習量の2/3以上を占める必要性も指摘されています。そしてトレーニングの継続による有酸素的能力の改善に応じて60%強度のランニングスピードは改善されます。最初はキロ8分であったものがキロ7分になりキロ6分になっていきます。ですからキロ8分のままでトレーニングをしていては身体機能は改善されないこととなり60%強度での「心拍数トレーニング」を行うことが重要です。また日によって体調は異なりますので心拍数と「自覚的運動強度(ボルグスケール)」からその日のランニングスピード(運動強度)を決定することが重要です。
 有名な立命館大学の田畑泉先生の「タバタメソッド」は最大酸素摂取量の170%強度の運動を20秒間継続し10秒間の休息を挟み6~8セット実施する短期間高強度インターバルトレーニング(HIIT)で、週2回のトレーニングで最大酸素摂取能力と最大酸素借(いわゆる無酸素的能力)の両者の改善を図るものです。カルボーネン法で計算すると心拍数が250拍/分を優に超えてしましますので経験的に6~8セットで「疲労困憊に至る」運動強度と運動方法(動作)を決定します(田畑泉、世界標準の科学的トレーニング、講談社、2022年)。この際「どのような運動方法(動作)」を選択するのかということが重要です。トレーニングには「特異性」と「一般性」という概念があり、トレーニングは個別の条件下で実施され特異的(自転車ロードレースなのかマラソンなのか)に形成されるのですが有酸素的能力は「一般的能力」として測定されます。しかし自転車競技選手は「自転車エルゴメーター」でマラソンランナーは「トレッドミル(ランニングベルト)」で測定する方が妥当性が高くなります。

「乳酸いき値トレーニング」って何ですか?

 最近話題の「乳酸いき値トレーニング」は、持久的トレーニングの運動強度の指針となるもので最大の持久的能力に対する%で示されます。低強度運動継続時のエネルギー源は「遊離脂肪酸(FFA)」が主要で細胞内のミトコンドリアで「有酸素的」に生成されます。そして運動強度が上昇するにつれて追加のエネルギー生産システムが必要となり「糖(筋グリコ-ゲン)」が利用されます。この際にピルビン酸が先ずつくられると考えられておりこのピルビン酸もミトコンドリアで有酸素的に処理されます。ところが運動強度が高い場合にはこのプロセスだけでは処理しきれずに「乳酸」が生成されます。このプロセスは同時並行的に進行しているので、結果的に運動強度が上がるとピルビン酸が処理しきれずに血中乳酸濃度が上昇してきます。

 この血中乳酸濃度は、自覚的には「きつい」という感覚を生じさせますのでスウェーデンの著名な生理学者・ボルグ先生は、「最高に楽」から「最高にきつい」に至る6~20段階の「自覚的運動強度(ボルグスケール)」というものを提唱しています。またこの数字は運動時心拍数のおよそ1/10であることも指摘されています。

 段階的に運動強度を上げてゆくと血中乳酸濃度も上昇するのですが、最大の60%強度あたりで乳酸値の増加曲線がやや急になり80%強度を超えるとさらに急激に増加するといわれています。そして80%強度を超えると乳酸をエネルギーに変換する処理が間に合わなくなりそのまま継続するのは「無理」という感覚が生じますので80%を「乳酸いき値」と定義します(血中乳酸濃度では4ミリモル/L)。

 ただ腕時計型の心拍系では運動実施時の血中乳酸濃度を測ることはできませんので、80%強度と推定される心拍数を個人別に推定して表示しますが、この時問題となるのが心拍数の個人差です。基準となるものは「安静時心拍数」と「運動時心拍数」と「最高心拍数」なのですがこの「最高心拍数」が個人の年齢やトレーニング経験によって大きく異なっていることが知られています。

 有名な方法は「カルボーネン法」といって最高心拍数を「220-年齢」と推定します。そして安静時心拍数と運動時心拍数との関係から、推定最高心拍数―安静時心拍数を100%として、60%強度や80%強度を計算します。40歳の方で安静時心拍数が60拍/分であれば、80%強度は((220―40:推定最高心拍数)-60:上昇キャパシティ)×80%)=96拍/分に安静時心拍数を加えた156拍/分となります。30歳で安静時心拍数が55拍/分であれば、60%強度は((220-30)-55)×60%=81拍+安静時心拍55で136拍/分です。

 ですから厳密に最高心拍数を推定するためには「ビルドアップ法」といって運動強度を段階的に上げていった最高心拍数やレースでのラストスパート時の心拍数を記録したりすることで補正することが必要となります(血中乳酸を測定してもらって4ミリモル強度を推定する方法もあります)。

走っている最中に ”カクッ” と力が抜けるのですが?

 市民ランナーの方から「走っていて ”カクッ” と脚の力が抜けて転びそうになるのですが・・?」という質問を受けます。私も先日10Kmランニング中に足関節で2~3回経験しました。変な痛みを感じだした途端に ”カクッ” と力が抜けます。
 2017年の第29回ランニング学会でも筑波大学の黒坂先生たちが「長距離ランナーにおける突発的な下肢の機能不全~いわゆる「脚抜け症状」について~」で、支持脚の股関節に関わる中殿筋や内転筋で筋活動の低下がみられたことを報告し、閉鎖神経や坐骨神経が関与している可能性を報告しています。
 私の個人的見解ですが、これには「折り畳み反射」の発生による「伸展反射(支持脚の保持)」の抑制が関わっているのではないかと思うのです(下図)。


 左はいわゆる「伸張反射」で、二頭筋(力こぶの筋)が瞬間的に引っ張られると「筋紡錘」というセンサーからの求心性Ⅰa群線維が脊髄に信号を送り、二頭筋の急速な屈曲と三頭筋の伸展の抑制を引き起こして筋長を維持します。下肢では大腿四頭筋の伸展とハムストリングスの抑制を引き起こして支持脚を支えます。
 ところが「折り畳み反射」ではより骨の付着部に近い「腱紡錘」センサーからの求心性Ⅰb群線維が脊髄に信号を送ります。腱紡錘が伸展されるということは筋が伸びきっていて筋断裂の恐れが高くなるので二頭筋の「伸張反射」を抑制して三頭筋の伸展を誘発します(格闘技などでの関節固め技もこのメカニズム?)。下肢で起これば支持動作の抑制を誘発して  ”カクッ” と力が抜ける可能性が高くなります。
 走行距離が長くなって脚筋の疲労が進行すると筋長の短縮が起こります。筋長が短縮するということは「腱紡錘」からのⅠb群線維の入力が増加する可能性が高くそのことが「折り畳み反射」を誘発し「伸張反射による姿勢維持」を抑制しているのではないのかと考えています。これを予防するためにはストレッチングやマッサージなどで内転筋やハムストリングスの筋長を回復させることが重要となるように思います。

 

お酒を飲んだ翌朝の運動は・・?

 定期的に運動を行っていても「飲酒習慣」のある方は多いと思います(私もそうですが・・)。そこで話題となるのが飲酒と運動の関係で「適量」とは何かということです。
 飲酒によるアルコール摂取はヒトに様々な反応をもたらします。最近話題の「ノンアルコール飲料」は大変良くできていて味も香りも「本物」並みなので、過去の経験と重ね合わせて「リラックス感」や「親近感」を生み出します(顔が赤くなったり心拍数が上がったりする人もいるようです)。
 アルコールも薬と同じで「消化」の必要がないので胃で20%程がすぐに吸収され20~30分ほどで「酔い」が始まります。そして人体最大の化学工場である肝臓に送られ、90%程は「アルコール脱水素酵素(ADH)」によってアセトアルデヒドに分解され、残る10%は汗や尿や呼気から体外に排出されます。
 このアセトアルデヒドは毒性を持っており、顔が赤くなったり動悸や吐き気、頭痛などの原因となりますので、肝臓での次の解毒作用として「アセトアルデヒド脱水素酵素(ALDH2)」によって酢酸(お酢)に分解されます。アセトアルデヒドが分解しきれずに翌朝も体内に残っているのがいわゆる「二日酔い」状態です。
 このアセトアルデヒド脱水素酵素の働きが強い人がいわゆる「酒豪」で、働きが弱い人がお酒に弱い人になります。人類の進化のプロセス(ヒトとチンパンジーなどの共通のご先祖だったころ)で、腐った果実(発酵してアルコールを含む)も食べる生存戦略で生き残ってきたようなのですが、アジアでは水田農耕が起こった南部の人たちはお酒に弱い(中国内陸部の人は強い)とされています。これは、アセトアルデヒドを分解せずに残して体内で感染する水辺の細菌への対抗措置として獲得されてきたのではないかとのユニークな仮説があります(NHK、食の起源:酒、2021年放映)。
 個人差もありますが、ビール1缶(350㏄)のアルコール分解に2~3時間かかると言われていますので、大量の飲酒の翌朝はまだアセトアルデヒドが残っている「二日酔い状態」です。私の実験では、「1次会」で終了した場合よりも「2次会」まで行ってしまうと、ランニング前の安静時心拍数が高く、ランニング開始からいつもより10拍ほど心拍数が高いのですが、さらに1時間走後の心拍数が60分以上たってもなかなか低下しないというデータがあります(山崎健、飲酒翌日のランニング、1994年ランニング学会大会)。ランナーの方はいつもご自分の心拍数をモニターしていると思いますが、ランニング前の心拍数が高いときは「ご用心!」。

 

”メンタル” が弱いのですか?

練習で「できた」ことが実際のプレー場面で「できない」のはよくあることです。ついつい「自分は精神的に弱気になるので・・」と思いがちなのですが本当にそうなのでしょうか?「ブルペン・エース」という言葉もあるようですが、ブルペンは所詮ブルペンであって実際の試合でのマウンドではありません。バッターもいなければアウトカウントもなくピンチでの緊張感も何もない訳ですから「リアリティ」がありません。ですから「そこでの」パフォーマンスが「全く別の環境」で発揮できると考えるほうが無理があります。
かつて桑田真澄さんが東京大学野球部の特別投手コーチになった番組が放映されました(NHK・クローズアップ現代:最弱チームは変われるか?、2013年放映)。東京大学野球部員は、甲子園出場経験はないものの大変真面目で春のシ-ズン前は1日12時間も練習していたのだそうです。そこでの練習原理は「時間をかければ上達するという ”神話” 」だったという内容でした。野球の場合プレー場面が多岐にわたるので練習時間が長くなるのはやむを得ない部分もありますが「リカバリーと機能向上のための時間の確保」を考えると長すぎるようにもに思います。
この点で前回触れた「メンタルトレーニング」の重要性がクローズアップされてきます。が、問題はこのトレーニングの「リアリティ」で、バーチャル環境や試合場面のリアルな再現といった「実際に想定される状況」での入念な実施が重要です。かつてあるメンタルトレーナーの方が「プロ野球投手でいい加減なのが多くてね・・」と嘆いておられました。あまりにもメンタルプラクティスの時間が短かったので内容を尋ねたところ「バッチリです、全員三球三振です・・」だったそうです。選手の願望としては理解できるのですがそのような状況は「非現実的」で「非効果的」なことだと思うのです。
かつて、スピードスケート500mで「スラップ」という踵の離れるスケート靴が導入された際に対応に悩んでいたH選手のメンタルリハーサルの内容が紹介されました。内容は実況中継のアナウンスで「100mを驚異のラップタイムで通過・・速い!・・そのまま世界新記録で金メダル!」というものだったのですが、スラップスケートの場合高速のまま最終コーナーに突入し転倒のリスクも高まるわけですので「100mはまずますのラップタイム・・ここから徐々に加速して最終コーナーでトップに立った・・速い!・・世界新記録!」というシナリオのほうがよりリアリティが高かったのではないかとも思うのです。

「100本ノック」の意味は?

野球の守備練習で「100本ノック」は有名です。1964年東京五輪女子バレーボール・ニチボウ貝塚チームの伝説のレシーブ練習は世界的にも注目(批判も)されました。「黙って俺についてこい!」とのキャッチコピーもあったため「非科学的」だとか「根性主義」だとか「女性蔑視」だとかいろいろなコメントがありました。
昔ある学会のシンポジウムで、大学野球のコーチの方が米国の大学野球の関係者に自チームのノック練習を公開したそうです。そしてどうせ「非科学的だ!」とコメントされるのだろうと思っていたら、案の定「Bad!」で「あれは捕球をしているだけで送球(アウトにする)をしていない!」、「Too Long!」で「内野手はあんなに疲労困憊でプレーをすることはない!」とのコメントだったそうで、改めて「本場の合理性」を痛感したとのコメントが印象的でした。
しかしノック練習では「絶対にとれない打球」は課しません。ある程度の範囲で打球を調整してギリギリ捕球できる課題で実施しているのでその意味での「合理性」(”100本ノーミスでやり遂げた!”とのメンタリティ獲得)は担保しています。ただ野球の内野守備では、卓球やテニスやバドミントンのように10数回ラリーが続く状況とは異なりますのでもう少しスピード感のある現実的な練習課題のほうが良いようにも思われます。
現在では「脳の認知機能トレーニング」が注目されています。従来の用語では「メンタルトレーニング」と言われてきましたが、実際の動作を伴ったり筋電図や動作解析を伴ったり今流行りの「メタバース」での課題も含んでいます(NHK・BS:メンタルを鍛えて勝利をつかめ、2021放映)。
ボールゲームでの個人の感情のコントロール改善についてのリアルなバーチャル環境でのVRトレーニングの効果、2020年からのコロナ禍での新たなトレーニング方法(運動シミュレーションの行動化と言語化による脳内再編)、対戦型競技での反応速度や予測能力の改善(言語指示対する反応性の改善やゲーム映像の活用)などが紹介され、スポーツ心理学と神経科学との連携(脳神経系と筋活動との関連性)の重要性が指摘されていました。
イタリアでのリーバ・リハビリテーション研究所・ズッカ先生は脳の運動野に対する「経頭蓋直流電気刺激」による自転車競技選手の認知能力の向上がパフォーマンスの改善(1%程度でも表彰台が可能となる)に貢献する可能性を報告しています(ただ ”脳ドーピング” になるのではないかとの指摘もあります)。またベルギー・ブリュッセル自由大学のシェロン先生の、いわゆる「フロー」と表現される高いパフォーマンス発揮時の心理状態についての前頭前野の脳活動と筋活動関連のデータ比較によるフロー状態の再現可能性についての研究も紹介されていました。
東京大学の中澤公孝先生は障がい者スポーツのアスリートについて、機能的脳画像検査(fMRI)と経頭蓋磁気刺激(TMS:上記の直流電気刺激ではなく磁気を用いて筋収縮を起こす方法)を用いて健足側と義足側との脳内での「代償性適応」の可能性を指摘しています(中澤公孝:パラリンピックブレイン、東京大学出版会、2021年)。つまり障がい者アスリートでは、長期間にわたるトレーニングの継続により脳の運動実現様式を劇的に変容させて対応しているようで、神経科学や運動生理学やバイオメカニクス研究の発展と応用が新たな地平(健常者へのフィードバックの可能性)を切り開いているようなのです。
私たちの身体運動は「脳神経系(運動指令)」と「筋-骨格系(運動実現)」と「環境系(外乱)」との相互作用の中で行われていますので、その練習課題は「どのような根拠とねらいを持って行われているのか」を理解して取り組むことがトレーニング効果を高めるうえで大変重要なこととなるのです。

マラソンランナーの「高糖質食」?

非公認ながら人類初のマラソン2時間の壁を突破したキプチョゲ選手の「高糖質食」が話題となりました(NHK放映:超人たちの人体、2021年放映)。米国やオーストラリアや南アフリカなどの長距離トップランナーのPFCバランス(タンパク質と脂質と糖質の割合)が、ほぼ[20:30:50]であるのに対して、ケニアのランナーは[12:12:76]という「高糖質食」であることが紹介されていました。ただ、現在のスポーツ栄養学のデータからすると[20:30:50]というPFCバランスは「ジャンクフード・メニュー」とされているので「本当に?」と思ってしまいます。
スポーツ栄養学では和食の基本[15:25:60]が理想とされ、総摂取カロリーの増大にともなって1gあたりのカロリーが4Kcalと少ない糖質が減少(量が増えて消化しきれない)して9Kcalである脂質が増加します(1日4500Kcalの場合は[13:30:57])。かつての水の超人:フェルプス選手の1日12000Kcalのメニューはあまりにも有名な話ですが「ジャンクフード」や「エナジードリンク」も加えないと賄いきれなかったようです。
ケニア人ランナーの高糖質食は、パンやご飯やジャガイモと砂糖たっぷりのお茶(チャイ)に加えトウモロコシ粉の「ウガリ」が有名です。そしてこのような運動習慣(トレーニング)と食事習慣を長期間継続することにより小腸内の絨毛線維の糖質トランスポーター(運搬体)が増加し糖の吸収能力を改善するとの英・ラフバラ大学のユーケンドロップ先生の「腸トレーニング説」を紹介していました。
また、運動中の糖質飲料摂取に関しては、従来の糖質濃度が8%を超えると水分吸収が制限され上限の16%では水分利用曲線が最低になるとのデータ(小林修平・樋口満編:アスリートのための栄養・食事ガイド、第一出版、2014年)に対して、血糖値の上昇の指標であるグリセミック・インデックス(GI値)の低い「イソマルツロース」という糖を含んだ飲料の有効性も指摘されています(鈴木志保子:スポーツ栄養学、日本文芸社、2018年)。キプチョゲイ選手らの摂取する「高糖質ドリンク」は胃酸でゲル状に変化する物質を含んでおり、高糖質に反応する十二指腸の信号による胃の通過制限機能(腸での下痢症状を防ぐため)を発現せずに小腸に糖質を送り込む可能性があるとのことでした。
2019年・ハーバード大学の研究グループが、ボストンマラソン完走者のパフォーマンスと腸内細菌との関係を分析し、「ベイオネラ菌」という腸内細菌が運動によって生成された乳酸を「プロピオン酸」に変換(エサとして処理)しそれが肝臓に運ばれて有酸素エネルギーとして再利用される可能性を指摘し、マウスを使った実験では有酸素能力が13%改善されるとのデータが示されています。腸内細菌叢もまた、長期にわたる運動習慣や食習慣で形成されることから、パフォーマンスの改善にはまさに「運動-栄養-休養」の三大要素の継続が重要ということとなります。
ただ、長期間のトレーニングと高糖質食や高糖質ドリンクで「世界新記録」を生み出しているのは今のところキプチョゲ選手に限られていることからやはり最後には「本人の才能」がパフォーマンスを決定しているようでもあります。

発汗量が多いのは ”マズイ” のでしょうか?

 マラソンレースのTV中継序盤、アナウンサーが「〇〇選手、大変汗をかいていますが大丈夫でしょうか?」とコメントすることがあります。多分その根拠は「大量発汗」≒「水分損失」≒「脱水症発症」という図式があるようなのですが、大量発汗している選手がそのまま上位でゴールすることもあります。また運動時の発汗量は個人差が大きく、環境温度や湿度や運動強度との関係でも大きく変容しますし、ミネラルの損失によるトラブル(水分のみの摂取による低ナトリウム血症発症など)にも対応する必要があります。
 現在世界的レベルにある日本競歩陣は、この発汗量と水分摂取に関するスポーツ医科学的サポートを最大限活用しています(NHK:”歩いて”東京オリンピック金メダルへ、2020年放映)。
 競歩競技をサポートする医科学チームは、レース当日の気象コンディションを想定し、スタート後何時間で気温と湿度、コースの路面温度(現在の大会は2~2.5Kmの周回コースで実施される)が変化するのかも予想したうえでの給水計画(給水地点での給水量やスペシャルドリンクの内容)を立てます。
 日本陸連科学委員長の日体大・杉田正明先生は、運動生理学的には2%の発汗量からパフォーマンスが低下するとのデータから、事前のトレーニング段階から選手個々人の発汗特性を把握して対応しています。発汗量はほぼ体重変動(エネルギー産生のための糖や脂肪の消費量は100g以下)ですので、トレーニング時の気温や湿度を考慮した体重変動から発汗特性を推定します。また、安静時の汗は汗腺での塩分再吸収があるので無味無臭なのですが、多量の発汗時は再吸収が間に合わないので汗にミネラル(ナトリウムやカリウム、アンモニアなど)が混入してきます。そしてミネラル損失量にも個人差がありますので、体重変動のチェックとともに背中に張ったパッチを回収・分析してミネラル成分の分析も行います。ある選手の30Km練習時のデータでは発汗量が3.4%と推定され、本来であれば1610ml必要であるのに760mlしか給水していないことがわかりトレーニング時からの適切な水分補給を心掛けるようになった(選手本人の意識改革の成功)ことが報告されています。そして、選手の発汗特性に合わせて給水量やスペシャルドリンクの摂取タイミングを決定します。また、暑熱環境で行われるオリンピックや世界選手権では「冷却グッズ」を準備します。帽子内部や頸や手掌につける冷却材の映像を見た方もいらっしゃると思います。
 「大量発汗」は暑熱適応に対するその個人の適切な反応であると考えられますで、必要な水分とミネラルの補給を心掛けることで脱水や熱中症のトラブルを回避することができます。ところが実際には推奨されている運動開始前の水分摂取(ウォーターローディング:350~500ml)の実施や運動序盤での水分摂取を心掛けている選手が少ないのも事実なのです。 

(再録)「腸内細菌叢」と伝統的食事内容と後天的遺伝子変異(エピジェネティックス)?

 ロンドン大学のT.スペクター先生は、健康に関わる双子研究の第一人者です。最近の著書で、肥満や糖尿病といった私たち人類にとっての「時限爆弾」が、巷で様々な問題を引き起こしている「非科学的ダイエット」によって更に深刻化していることを指摘しています(ダイエットの科学、白揚社、2017年)。そして、「ジャンクフード」や「トランス脂肪酸」などが引き起こす健康障害は明確であるのに対して、いわゆる「健康によい」とされる様々な食品の効用が、地域と個人によって異なることを指摘します。
 確かにイヌイットの人たちのアザラシ肉や内臓、脂肪など動物由来96%のカロリー摂取であるのに対してペルー高地ケチャの人たちは植物由来95%のカロリー摂取であり、タンザニアのハッザの人たちは野生動物の肉とハチミツ、ベリーや塊茎が主食で、ケニアのマサイの人たちは肉と牛乳の大量摂取と少量の野菜、アマゾンのヤノマミの人たちは加熱調理したバナナやキャッサバの主食に野菜、果物、昆虫とわずかな野生動物の肉、というそれぞれが地域特有の「メニュー」でそれなりの健康を維持しています。実はこのことが根拠の乏しい様々な「○×ダイエット法」が横行する背景でもあります。 
 有名な旧ソ連のメチニコフ博士のコーカサス地方の長寿研究では、牛由来とされる「腸内細菌叢」が、長い歴史の中で営々と築き上げてきた食生活と生活習慣とに関連してヨーグルトなどの乳製品を「餌」として好ましい腸内環境を生みだし長寿を支えているものと考えられています。健康的とされる「地中海料理」もイギリスの人たちへの貢献度は限定的であることも象徴的です。いわゆる「腸内細菌叢」が地域特有の食メニューから必要な栄養素とメッセージ物質をつくり出していることは間違いのないことのようで、この「腸内細菌叢の多様性」が失われると潰瘍性大腸炎や免疫細胞の暴走をまねくことも指摘されています(NHK:ヒューマニエンス 腸内細菌、2021年放映)。
 このように長期にわたる食習慣に対応して私たちの腸内細菌叢は、集団的にも個人的にも変容してきたようで、様々な機能を発現する遺伝子スイッチの発現にも関連しているようです。最近「エピジェネティックス」といって各種遺伝子スイッチの「後天的なオン=オフ」を変化させて遺伝子を変化させる働きがあることが指摘されてきています。
 国立遺伝学研究所の佐々木裕之先生は、いわば「獲得形質が遺伝する?」との仮説との関連を指摘し、エピジェネティックな病気発症のメカニズムと「DNAメチル化(塩基配列には変化を与えないで化学装飾というかたちで遺伝子に目印をつけ、遺伝子に転写してゆく)」や遺伝情報に関わる「ヒストン受容体」との関係から環境要因や生活習慣とも関連してメチル化が起こる可能性を指摘します(エピジェネティック入門、岩波書店、2005年)。