ボールゲームの一対一の場面では、オフェンス側は相手との関係性から幾つかの「選択肢」を実行します。相手との距離が近づいてくるとオフェンス側は、右へ行くような「そぶり」を見せて相手に右側を守るような行動を誘発します。ディフェンス側の右側への反応が起これば「ワンフェイク」で左側へボールを運びますし、相手が既に「ワンフェイク」を予測している「そぶり」があれば「ツーフェイク」で再び右側にボールを運びます。
面白いのは「ノーフェイク」といって、ディフェンス側がフェイクを予測している場合にはそのままダイレクトに右側へボールを運ぶとディフェンスを振り切ることができます。
これらの現象は反応時間における「不応期」として説明されます。私たちの身体は質量が大きい(重たい)ので、事前に特定の方向に行動を起こすよう脳や脊髄を経由して筋収縮の準備をしています。そして「絶妙のタイミング」で反応を開始します。予測が正確であれば相手のコースを止めることができますが、相手の仕掛けてくる方向が読めないときや相手のフェイントに惑わされてしまうとボールを止めることができません。
実は反応時間においては、光刺激に対してすばやく跳びあがる「単純反応時間」にはあまり個人差がないことが分かっています(0.2~0.3秒くらい)。ところが光刺激が提示されるタイミングを予測すると当然それ以下で反応することができます。陸上競技のスタートではピストルの音から0.1秒以内にスターティングブロックに一定以上の力を加えるとセンサーが反応して失格(フライング)となります。しかし「真面目に反応する」と0.08秒ほどで反応できる選手が一定数存在します(2008年NHK放映、反応の限界)ので、こういった選手は失格しないように「人並みにスタートする」練習をします。100mは「反応時間競争」でも「一歩目競争」でも「30m競争」でもないので「トータルとして100mの記録」が最終課題となります。
「刺激提示」から動作システムを起動させ運動指令が脊髄経由で「筋収縮を開始」されるまでを「反応時間」といいます。さらに筋収縮で動作が開始されて課題達成されるまでを「反応動作時間」といいます。「反応時間」にはあまり大きな個人差はないのですが「反応動作時間」は筋収縮のパワーや動作の巧拙により個人差が生じます。さらに「予測付き反応時間」になると「予測精度」の問題もあり大きな個人差(運動場面での経験の差)が生じます。
つまりボールゲームなどでのいわゆる「反応のセンス」は、数多くの運動経験による予測の精度やトレーニングによる身体動作の速度や巧拙(スキル)が複雑に関連して決定されていることとなります。
ボールゲームの「センス」って何ですか?
あのプレーヤーは「センスがいい!」と言われることがよくあります。一方「今のプレーはセンスが悪い?」とも言われることがあります。そういわれると「何となく?」わかったような気もするのですがその実態は何なのでしょうか?
サッカーでは、3大B(Ball Control と Body Balance と Brain Work)やTIPS(Technique と Intelligence と Personality と Speed)の重要性が指摘されています。多分「センスがある」ということの基本にはこれらのことが関連しているのだと思います。またスポーツにおける3大T(Training と Technique と Taktics)という指摘もあります。ベテランアスリートのように技術的にはそれほど問題はなくとも体力的な出力レベルが維持できないケースもあり、実際のパフォーマンスとしては「体力不足」と評価されることとなります。
ではトレーニングによって体力レベルを向上させればパフォーマンスは改善されるのでしょうか?
答えは「ノー」です。実は技術的な課題は身体的能力と密接に関連して変容してゆきます。ゲーム後半にはスピード持久力は低下してきますので、前半と同じような「ボールスキル(技術×身体能力)」は発揮できなくなりますので他の選択肢が要求されます。実はこのことが本来の「センスがある」という表現につながっているように思うのです。
今まで指摘してきたように、私たちの運動司令は「結果を予測して発せられている」ようですので、「このステップでは相手をかわせない」と他のステップに切り替えるケースと同じステップを繰り返してボールを奪われるケースとが生まれます。前者は「センスがある」、後者は「センスが悪い」ということになるのでしょうか? ドイツのシュライナー先生は「サッカーのコーディネーショントレーニング(大修館書店、2002年)」において、「ある運動を行う際に、それがうまくいくように神経や筋肉が協調して働くこと」との視点から様々なトレーニング(ドリル)を提示しています。(続く)
ランニング時も「結果を予想して」走っている?
私は週5日ほど走っているのですが、走り出す前に「何となく」シューズを選びます(薄底や厚底など数種類)。また、W-upを兼ねて1Km7分ほどのペースで走り出すのですが、1.5Km地点でその日のペースが「何となく」決まります。そのまま㌔7分のこともあれば6分30秒に上げる場合もあります。
私はC社製の加速度計(モーションセンサー)を利用して、ストライド・ピッチ・接地時間や接地のタイミング・減速量・下肢のバネ係数などを250m単位で記録しています。面白いのは、同じ感覚(例えば㌔7分ピッチ182歩/分)で走っているつもりなのですが250m毎に見てみるとかなり変動しているのです。路面状況も違えばその日の体調も前半-中半-後半で違うので当たり前といえば当たり前なのですが「結果が㌔7分182歩/分となるように予想して」走っているようなのです。
おそらくレース中であっても「自分の現在の状態と後半のコンディション」などを予測してランニングスキル(ここからはピッチ走法を意識するとか・・)を決定しているようです。「予想通り」であれば「結果との誤差( ”サプライズ” といいます)」が少なくなり「ドーパミン報酬系」が働くと考えられています。一方あまり良い結果が予想されないときは「それなりに」対応して「纏めている」ものと思われます。
レースでも、スタートしてから数キロ経過し「なんとなく今日は行けそう・・」との予感がして、レース中盤からストライドを抑えてピッチを上げてペースアップをし、そのことが心理的高揚感(”よ~し、このままいければ久しぶりのベストタイムが出る”・・このプロセスはエネルギー供給系でのグリコーゲン動員力も高まります)を伴って達成感と充実感と幸福感を感じながらゴールすることができるのだと思います。
この「予測」と「経過」と「結果」の誤差が少なくなることは「経験知」の積み重ねで改善して行くようで、マラソンの川内優輝選手の異例のレース出場頻度が高いこともトレーニングと割り切れば納得できるような気もします。
また「集団走」をしていると集団なりの固有のリズムが生まれてくるようで「ミラーニューロンシステム」が働いているのかもしれません。「他者との情動の共有」も生じますので他者を知覚-理解する能力に関わる集団性や社会的スキルも生ずるようです(リゾラッティ、2020年)。ですから、実際のレース中ではそのリズムが自分のリズムと合わないと判断すると集団から離れたりもします。実は「同じストライド×同じピッチ=同じスピード」で走り続けているといわゆる「中枢性抑制」がかかりパフォーマンスが低下する可能性(山崎、2015年)があるので、給水時に一瞬ペースアップしたり集団から離れたりするケースもあるようです。
「運動司令」と「運動イメージ」と「ミラーニューロン」
どうやら運動司令は「結果を予測して」発せられているようなのですが、では「何を手掛かり」にして予測しているのでしょうか?
「予想脳」の藤井直敬先生も「能動的推論」の乾・坂口両先生も、外界からの絶え間ない感覚情報が重要で、視覚や筋感覚などの「感度調整」をして予測の精度を上げていることを指摘します(藤井直敬、予想脳、2005年:乾敏郎・坂口豊、脳の大統一理論、2020年)。まさに「注意・集中」をして状況を把握することが重要ということのようです。
一方、実行する運動司令は各関節を「どの位動かすのか」という「関節トルク」(”グン”と蹴る”のか”ポン”と蹴るのかというイメージ)で発せられているようです(川人光男、運動軌道の形成、1986年)。
では「運動を実行するイメージ」はどうなのでしょうか?
リゾラッティ先生らの「ミラーニューロン」(リゾラッティとシニガリア、ミラーニューロン、2020年)では、「目前で他人が動く視覚情報」が自分の動きを誘発する「模倣」が背景にあるようで、その意味では「人の振り見てわが振り直せ」なのですが、人の振り見て生ずる「運動イメージ」の実体は何なのでしょうか?
個人によって異なるとは思いますが、「一人称的イメージ」は「自分目線での自分の運動感覚」ですし「二人称的イメージ」は「あなたと私が一緒に動く運動感覚」ですし「三人称的イメージ」は「自分と関わりのない(わからない)運動感覚」があるように思います。世阿弥の有名な「離見の見」と「我見の見」もこれと関わっているように思われ、「我見の見」は自己満足の戒めとされていますが、「離見」と「我見」が揃っていて初めて熟達の境地に達するようにも思います。実はミラーニューロンには「自分が他人から真似されている」ことに反応する性質もあるようです。
「ミラーニューロン」による「模倣」で想起される実際の運動イメージは「自分目線の一人称または二人称」であり撮影された外的映像のような「他人目線の三人称」ではないように思うのです。
ただ、ヒトのミラーニューロンは「サルの猿真似」よりは少し高度な機能を持っているようで、ミラーリング時には休止していてその後活動する「スーパーミラーニューロン」がある可能性(階層性を持っている)も指摘されています(イアコボーニ、ミラーニューロンの発見、2009年)。「形をまね」「動作をまね」「目的をまね」て、「見よう見真似」で対応しているうちに「わがものに置き換わる」メカニズムはまだ良く分かっていないようです。
運動司令は「結果を予測」して発っせらている?
私たちが運動に熟練してくると、どうやら結果を予想して動作パターンを選択して実行しているようです。
例えば雪の路面や登山道を走る時は、身体の移動状況や視覚情報など様々な入力情報から転倒しないように接地や体重移動を調整しているようです。
京都大学の乾敏郎先生と電気通信大学の坂口豊先生は「すべての脳機能は推論である」とするフリストン先生(英)の「自由エネルギー原理」を解説し、知覚や認知、運動といった機能が統一的に説明できることを指摘しました(乾敏郎・坂口豊、脳の大統一理論、岩波書店、2020年)。つまり「知覚」の仕組みは、中枢【信念】の予測信号と感覚受容器からの感覚信号とが「予測誤差信号」を生成し、それが中枢に対して【信念の更新】を要求し、実際の結果と予測との誤差【サプライズ】が小さくなるように働くシステムがあるようなのです。
理化学研究所の藤井直敬先生も「予想脳(Predicting Brains)」という概念で、自己をとりまく環境を逐次理解し、外界と整合性のある行動をとることにより「次に生ずる未来を常に予測して、絶えず流入してくる自動処理された外界環境情報と自己が予想した未来とを比較することが、脳の本質的な機能である」と指摘します(藤井直敬、予想脳、岩波書店、2005年)。
確かに、スキーで不整地斜面を滑ったりスラロームで難しいセッティングをクリアしたりする時には、予想と結果とを常に比較していると思うのです。その意味で、運動に「熟練する」ということはこのメカニズムが使えるようになっており、運動がうまく実施できないのは「経験知」が足りないからなのかもしれません。運動が上手くいかないのは「何が起こるかわからない・・!」という不安感が存在するためで、別の場面での経験知を適用して何とか乗り切るのもこのような脳のメカニズムと関連しているのかもしれません。
「出来合いのもの」で対応する・・転移?
「模倣」ではなく「転移」と指摘される現象もあります。そもそも私たちの身体は骨や関節や筋肉はほぼ同じ(たまに骨や筋肉が退化している人もいる)ですので、プロポーションやパワーの違いはあるもののほぼ似たように動きます。
例えばテニスをずっとやっていた人が初めてバドミントンをやってみる(私はそうでした)と、最初はテニスの「サービス」や「スマッシュ」の動作で対応します。バドミントンのラケットはテニスに比べて軽い(300gと80g)ので操作はし易いのですが「何か変?」です。そのうち「動作の変容(適応?)」が起こりバトミントンのラケットやシャトルの特性に合わせて何とか打てるようになります。現在のラケットは前後左右の「撓り」だけではなく「ねじれ」にも対応していますので「バックハンドのハイクリア」で瞬間的にラケットヘッドを「捻る」というテクニックも存在します。これはテニスラケットではできないテクニックなので「新たに習得」する必要があります。
私が授業でバドミントン部員と試合をしていたら「先生のコースなんか変です!」と言われました。どうやらテニスの配球のセンスでバドミントンをやっていたようなのです。そういえば卓球選手(ペンホルダーの速攻タイプやシェイクハンドのカットマン)やソフトテニス選手のバドミントンも「なんか変!」でした。
これは私の仮説の一つである「動作パターン浮動(MPD)」(運動野-小脳-視床-大脳基底核でのループ制御)とも関係しているのかもしれません。大脳の神経細胞(ニューロン)が160億個ほどであるのに対して小脳は690億個あるとされ多様な「動作補正」を支えています。そして「これだ!」という補正を大脳基底核が視床を介してONにする(脱抑制といいます)メカニズムです。更にその補正が「予測通りうまく行く(補修予測誤差ゼロ)」と「中脳」から報酬に関わるドーパミンが大脳基底核線条体に放出され「強化学習」が進んでゆくようです。
当初は「出来合いのパーツ」を使って処理していくうちに「バージョンアップ」が進んでゆくようですが、では元々の「ピュアなスイング」はどうなってしまったのでしょうか。大学院の授業で、野球の投手とこの話をしていたら「スライダーを覚えたら今までのピュアなカーブが投げられなくなりました!」とのコメントがありました。
「見よう見真似で・・」何とかできる?
私たちが、自分の経験したことのない運動をやってみようとするときは一体どうやって実行しているのでしょうか?
1990年代にイタリアのリゾラッティ先生らが発見した「ミラーニューロン」という脳の運動前野というところにある神経細胞があります。これは実験でサル自身が運動を実行する(目の前の餌をとって食べる)ときとサルの目前で実験者が食べ物(偶然ジェラードだったらしい)を食べるときのどちらにも反応する神経細胞で、見えた行為の方向や実験者の手の動きに影響されているようなのです(リゾラッティとシニガリア、ミラーニューロン、紀伊国屋書店、2023年)。
これは俗称「真似っこニューロン」と呼ばれているもので動物や人間の「模倣行動」に関係しているようで、子どもが物真似をしながら様々な行動を学習してゆく基礎とも考えられていますす。そして模倣にも段階があるようで、腕などの形を真似る階層から目標達成の動作レベルでの階層、そして動作の目標を模倣するという階層を経過するようなのです。
バドミントンに例えれば、ラケットの構え方や動かし方の模倣から、ハイクリアの動作の模倣を経て目標である相手コートに深く打ち返す、という段階を経るようです。
更に運動を模倣するだけではなく「予測」を含めて運動を要素に分解し、他の類似の運動とも区別ができてその運動が実行できるようになるようです(松波謙一、運動と脳、サイエンス社、2000年)。また、予想と結果の「ズレ」が少ないことは「報酬予測誤差ゼロ」という中脳からのドーパミン作動性の「報酬系」を活動させいわゆる「強化学習」を成立させてもいるようです(木村實、大脳基底核、NAP、2000年)。
まさに山本五十六の「やってみせ、言って聞かせて、 させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。」というお話を思い出しました。
実は人類進化のプロセスで、狩猟活動を行っていた170万年ほど前のホモ・エレクトス段階でのヤリや石器の製作や訓練として行う投擲動作の反復などでもこの「ミラーニューロン」が関与して「強化学習」が背景にあったことも推察(妄想?)されます。祭祀での祈りや踊りもこの「模倣」が背景にあったとすれば宗教的行動や文化的行動や「遊び」の発生にも関連しているのかもしれません。
クロス・トレーニングって何ですか?
「自分の専門以外のトレーニングを行うこと」がクロス・トレーニングの定義です。同一のトレーニングを反復していると使用部位や動作が偏ってしまい、他の部位や動作とのアンバランスが生ずることやスポーツ障害の発生などの弊害を防ぐことができるとの理由です(横浜市スポーツ医科学センター編、スポーツトレーニングの基礎理論、西東社、2016年)。では、球技同士のような組み合わせや全く異なる動きが特徴の種目(水泳長距離などの持久的なものとボールゲームなどのスキル系のもの)の組み合わせの場合はどうなのでしょうか?
例えば、週5日間の専門的トレーニング+1日の完全休養日+1日の専門外トレーニングといった組み合わせが推奨されていますが、外国の選手はシーズン制に応じて複数の種目に取り組んでいるのに対して日本選手は1年中同じ種目のトレーニングを行っていることも指摘されています。
サッカーコーチの植田文也さんは、著書のなかで、いわゆる「1万時間の法則」や「早期専門化」の弊害を指摘し、「早期多様化:アスレチック・スキルズ・モデル(ASM)」のマルチポーツ実践の優位性を主張します。オランダのウォームハウトの研究例から、サッカーのヨハン・クライフは野球を、バスケットボールのマイケル・ジョーダンも野球を、テニスのロジャー・フェデラーはサッカーやスキーや卓球を、スプリンターのウサイン・ボルトはサッカーやクリケットを実施していたことを紹介しています。そして本人たちの「若い頃多様なスポーツ経験をしたことが現在のプレーに役立っている」とのコメントを紹介しています(植田文也、エコロジカル・アプローチ、ソルメディア、2023年)。
実は単純な動作の反復と思われがちな陸上競技のハードル競技であっても、それぞれの時点で「最適なハードリング」が存在します。400mH日本記録保持者の為末大さんは、ハードリングが上手な選手は1台毎に最適な動きをしていて「子どもの頃に河原で石から石へ跳び移る遊びなどを経験していたことが多い」との興味深いコメントを残しています(NHK、ヒューマニエンス 遊び、2023年放映)。
スポーツパフォーマンスを支える「結果の正確性」とそれを保証するための「動作の冗長性」という矛盾した課題を達成するためには長期にわたるトレーニングが必要で、まさに「全面性」と「個別性」、「漸進性」と「反復性」、「意識性」と「感覚性」という原則を「過負荷の原理」に従って継続してゆくことが必要なのだと思います。
エコロジカル・アプローチ?
サッーカーコーチ・植田文也さんの「エコロジカル・アプローチ」(ソル・メディア、2023年)が話題になっています。「新しい学習理論と実践」という内容は、ポルトガルのポルト大学で出会った考え方がルーツにあるようです。
キーワードとしては「制約主導アプローチ」で、「個人制約(構造的と機能的)」「タスク制約」「環境制約(物理的と社会文化的)」という3つのカテゴリーから「知覚-運動カップリング」を改善しようとするものです。そして(1)代表性、(2)タスク単純化、(3)機能的バリアビリティ、(4)制約操作、(5)注意のフォーカス、の5つのプリンシプルを指摘します。分かりやすいものが第4章の「ストリートサッカーは自然な制約主導アプローチである」の内容です。アスファルトや土、芝などのサーフェスの制約、ボールの大きさや重量や弾性、3対3や5対5などのプレーヤー数、参加者の年齢や性別、コートサイズやゴールの形状など様々な「制約」を含むものがストリートサッカーであり、そのなかで子どもたちは様々な身体操作やスキルを獲得してゆく(『型』にはめ込もうとする指導システムでは獲得されない)と指摘します。これはサッカーとフットサルとの関係(”ドナースポーツ”という概念)とも関連するようです。
実は、日本の「学校体育研究同志会」の優れた授業実践の一つに3対2の「じゃまじゃまサッカー」という教材があります。コート中央に「守備専用のじゃまゾーン」があり、そこを3名で連携して突破することで「シュートゾーン」に入れるという教材です。またホッケー教材ではゴールを「ゲート型」にして『縦方向』にセットすると「横方向からの連携してのシュート」が多用されるようになったとの実践報告もあります。また小学生用のバレーボールボールには「4号軽量球」がありますしミニサッカーゲームでは「フットサル用ボール」を使用することでゲーム展開が変わってくることも指摘されています。
視覚情報に関わる「アフォーダンス理論」や東大の多賀厳太郎先生の「神経系-身体系-環境系」との不断のトップダウンとボトムアップの反復が「シナジェティックという新秩序を生み出す」という考え方とも通ずるものがあるように思います。関心ある方はご一読をお勧めいたします。
「全力」と「全速」・・?
「〇✖選手 ”フルスイング” で逆転タイムリースリーベース・・」という表現があります。では、この” フル” は「何がフル」だったのでしょうか?「打った打球速度が最速だったのか?」「バットスイングの速度が最速だった(で、たままたまボールに当たった)のか?」「力の入れ方が”全力”だったのか?」・・と考えるとよくわからないのです。
実は筋力トレーニングには「RM(繰り返し挙上できる最大回数)」というガイドラインがあり「最大筋力発揮時」は1RMとされています。ところが「最大筋力」を発揮しようとすると「他の筋収縮(付随する余分な筋活動)」を誘発して「速度低下」をまねくケースがあるのでトレーニング課題としては3RM(3回繰返せる負荷量)の方が効果的ではないかと考えられています。
私たちは「拮抗筋群」という「屈曲」と「伸展」を交互に繰り返す筋群で効率的な運動遂行を支えています。これは「伸張反射」や「立直り反射」といった生理学的なメカニズムを利用して効率的な運動を実現します。そして走幅跳や走高跳などの踏切動作では「屈曲」と「伸展」の筋群を同時に収縮させて「関節を固定」して”バネ”を生み出します。これは1960年代から「鎖と棒」の理論として理解されてきました。
ところがこの筋収縮の「拮抗性」と「同時性」の関係が破綻するとパフォーマンスが低下することが指摘されています。股関節大腿前面・大腿四頭筋の「伸筋」と「屈筋」の大腿二頭筋(ハムストリングス)の収縮のタイミングが合わないと「失速」するようなのです(NHKミラクルボディ:2008年放映)。番組では2007年大阪での世界陸上100m決勝で、当時世界最速のアサファ・パウエル選手がタイソン・ゲイ選手追いつかれ60m以降失速して逆転されたのが、過剰な意識状態が筋の「共縮」を引き起こしたのではないかと推測しています。実はパウエル選手はその13日後のイタリアの小さな大会の予選で9秒74という驚異的世界新記録を出しているので「フィジカル」の問題ではなく「メンタル」の問題ではないか(周りを気にせずトンネルの中を走っているようないわゆる”ゾーン状態”が必要?)と結論付けていました。
つまり過剰な「全力」では円滑な運動スキルを阻害するので「全速」は出せないのではないのか、それ故に「全速」を出せる練習課題こそが重要だということとなります。