2019年 4月 の投稿一覧

ストレスコーピングとメディエイション

 ヒトにとっての重大なストレッサーは、言語による記憶-行動系という機能を持ってしまったが故の「マインドワンデリング」です。意識の半分近くを過去の嫌な記憶や未来への不安が占拠してしまい過剰なストレス反応を誘発します。
 そこでこの言語による記憶-行動系(パブロフのいう第二信号系)からその改善を図るものが「ストレーコーピング」です。最低100個のストレス対処法を書き出します。そして、その効果(ストレス軽減感)を検証するのが「行動と気分」からの対処法を評価し実際に取り組みを行う「認知行動療法(CBT)」です。重要なポイントはここでも「身体運動(行動)」を伴うということで、ストレス反応の本質=行動による危機回避が根底にあるのです。いわば「富山の薬箱」にも例えられるもので「この症状」には「あれとこれの薬(・・があるから大丈夫)」という数多くの対処を蓄積してゆくもので「パニック」への対応もある程度想定します。
 一方「メディエイション(瞑想から宗教色を取り除いたものとされる)」は言葉ではなく感覚-行動系(パブロフの第一信号系)からアプローチを試みます。ヨガや自律訓練法と同じく、私たちが唯一制御可能な自律機能=呼吸を手掛かりとし、身体感覚との対応から「いま」のみを切り出します。過去や未来への言語意識を制限し、意識の全てを「いま」の呼吸や身体感覚にゆだねます。指先の血管の血流変動と呼吸制御を組み合わせてビジュアル化した「ストレス低減トレーニング機器」も市販されています。スマートフォンでもこの指先の血流変化からストレス度を評価するソフトウェアが利用できます。
 感覚と言語による記憶‐行動系を持ってしまったが故の私たちの宿命は、感覚と言語の両者をつなぐ身体運動によってのみ改善されるのかもしれません。
 しかし重要なことは、コーピングもメディエイションも過剰なストレス反応への対処法であって、ストレッサー自体を消し去ることはできないという点です。職場環境や労働条件の改善、休息や余暇時間の充実といった本当の意味での「働き方改革」がなければ「ストレス社会」の根絶は不可能なのです。

ストレスを低減する方法は?

 アメリカ心理学会では、ストレス対策として、①ストレスの原因を避ける、②運動を行う、③笑う、④社会的サポートを受ける、⑤メディエイション(瞑想)、の5つを推奨しています。
 ハーバード大学の精神科医 J.レイティ先生は、「脳を鍛えるには運動しかない(原著:SPARK! How exercise will improve the performance of your brain,Quercus,2009)、邦訳:野中香方子、HNK出版、2009年)の中で、身体運動の重要性を指摘します。
 身体運動を行うということは、人類史的に考えても本質的な問題で、ご先祖様であるホモ・エレクトス(直立するヒトという意味)の段階から、食事メニューを改善するため「持久狩猟」という獲物を30Kmも追い回して仕留めるという戦略をとり、肉食や骨髄といった食事メニューの多様化とともに重要な道具である石器製作の高度化(実は高度化は生存の危機的状況で発達する)をはかって脳の大型化を進めてきました。また言語機能にかかわる脳のブローカ野が石器製作のプロセスで積極的に活動することも指摘されています。つまり持続的な身体運動や高度な認知を伴う運動は脳の機能にとって「一義的」であるということなのです。
 レイティ先生は、身体運動にともなって脳内に分泌される幾つかのホルモンの重要性を指摘します。そして脳の機能をすべて調整している神経伝達物質、①セロトニン、②ノルアドレナリン、③ドーパミン、の重要性を、グルタミン酸やガンマアミノ酪酸(GABA)という学習関与物資との関連から指摘します。セロトニンはうつや不安障害などの脳の暴走を抑制し「プロザック」といわれる薬品と、ドーパミンは注意欠陥多動性障害(ADHD)などを緩和する「リタリン」といわれる薬品と同じ性質をもつものです。
 運動によって脳内に増加する物資の中で、もっとも有名なものは、神経ニューロンンの樹状突起を増加させる脳由来神経栄養因子(BDNF)です。そしてその増加により、①インシュリン様成長因子、②血管内皮成長因子、③線維芽細胞成長因子、といった物質が脳内で活発に活動することを指摘しいます。そしてこれらはすべて運動実施に伴って増加する物質であり、実はストレスによる扁桃体-視床下部-副腎系(HPA軸)でのストレスホルモンの暴走を抑える働きをしているようなのです。(続く)

ストレスは運動で対処できる?

 現代は「ストレス社会」と言われてから既に半世紀を経ています(H.セリエ:現代社会とストレス、1956年・邦訳1966年)。
 セリエ先生は、ストレスは様々な要因が引き金(ストレッサー)となること、そして生体の適応反応の「特異性」と「非特異性」という概念から「汎適応症候群」という概念を示しました。ストレス反応の初期は、脳下垂体から副腎に信号が伝わり副腎からのストレスホルモン(コルチゾール)が該当する組織に伝わり、まず「炎症反応」を引き起こします。いわゆる「あ、熱だ、風邪ひいた!」という初期反応で、そこからストレッサーの特異性に応じて様々な症状が発症します。もしもその人の抵抗性が高ければ初期反応だけで事なきを得ますが、そうでない場合は抵抗性が低下して「疲憊期」に入りストレッサーに応じた具体的な病状が表れてきます。
 ストレッサーには、気温や湿度、化学物質や小動物(ダニ)などがあります。問題は対人関係などの「精神的要因」がストレッサーに変化することです。人間は進化のプロセスで「言葉による記憶‐行動系」を獲得してしまったがゆえに、目前にはないものまでがストレッサーとなります。「マインドワンデリング(心の彷徨)」といって意識の半分が、過去のいやな出来事や未来への不安となってストレス反応(炎症)を引き起こします。更に大脳辺縁系の情動を司る「扁桃体」の過剰反応や「海馬(記憶に関与する)」の神経細胞を萎縮させることも分かってきています。
 そもそもストレス反応は「緊急反応」といって、ご先祖様たちがサバンナで危険動物に遭遇した時に身を守るための防衛反応です。アドレナリンを分泌して血糖値や心拍数をあげ、手足の皮膚の血管を収縮させ血液を固まらせやすくします。脳と筋肉をフル活動させ危険を回避するための重要な反応機序だったのです。ハーバード大学の精神科医・レイティ先生は、人間にもともと備わっているストレス反応は、①危険に集中する、②反応を起こす、③将来のためにその経験を記憶する、こととし、情動を司る大脳基底核の扁桃体に非常スイッチが入り、視床下部⇒脳下垂体⇒副腎皮質ルートでストレスホルモン(コルチゾールなど)を放出し、これが記憶と関連する海馬に送られて前頭前野と連携して将来的に適切な反応が形成されると指摘します。しかし現代社会ではライオンも蛇も姿を消し、最も怖い「人間」が繰り返し繰り返しストレッサーとなる「キラーストレス(NHKスペシャル取材班、2016年)」という厄介な存在が問題となってきます。
 そこでストレスと身体運動の関係がクローズアップされてくるのです。(続く) 

最近「持久力」が低下してきたように思うのですが?

 ベテランランナーの方から「どうも最近ロードレースのタイムが落ちてきたのだけれど・・」と相談されます。トレーニングを継続していても年齢相応の機能低下は起こりますが、個人差は大きいようです。年齢に伴う筋委縮が起こりにくい遺伝子の存在も指摘されていますし、ケガや故障で練習量が確保できないケースもあります。ただ、長距離ランニングの場合には、練習量の維持やトレーニングメニューの変更で対応ができ、統計的にみると著しい記録低下は招かないことが報告されています。
 「持久力」は結果(タイム)で評価されるのですが「持久性」となると話が違ってきます。持久性とは一定時間以上身体運動を「継続できる能力」のことで、フルマラソンのタイムが低下してきた・・といっても5~6時間も走り続けられることはとても重要なことで、当然普段からそれなりの練習をしていないといけません。逆に軽い身体運動でも20分以上継続できなくなった・・というケースは問題です。呼吸循環系やエネルギー供給系、筋の機能低下などが考えられ、背景には運動不足と肥満が見え隠れします。若い女性の食事制限のみの極端なダイエット志向も拍車をかけます。電車の中で立っていられない、長く歩くことが困難、長時間集中力を保てないなどの症状も「持久性」の低下なのです。
 子どもの体力問題でも1000m走のタイム低下が問題なのではなく、長い時間遊び続けることのできなくなる「持久性の低下」を招いてしまう生活環境の悪化こそがより重大な問題と考えられます。ロードレースのタイムが遅くなってきたこと・・よりも運動を継続的に実施することが困難になってきたことの方がより重大な事態なのです。
 実は私たちの身体は、ご先祖様たちの遺伝子をを色濃く反映しています。100万年以上前からアフリカのサバンナでは「持久狩猟」といって、そこそこの速度で30Kmも獲物を追い回して熱中症にして仕留めるという身体運動の戦略と様式を行っていたのです。そしてその結果として、栄養事情の改善と石器の製作などの行動様式の進化が脳の大型化と機能向上を促してきたと考えられています。つまり人類学的に考えても「持久性の低下」は「脳機能の危機」を招く可能性が高いのです。

「鉄材注射」は禁止?

 2018年12月、日本陸上競技連盟は「鉄材注射の根絶」についてのコメントを発表しました。
 鉄欠乏性貧血は赤血球が減少し、特に持久系の酸素運搬能力を低下させます。パフォーマンスの極端な低下にはいくつかの要因が関与しており「鉄欠乏性貧血」や「極端な軽量化戦略(減量)による筋量の低下」などは大きな要因となっています。
 スポーツ栄養学では、食事で練習量に見合ったカロリーや鉄分の摂取を重要視しています。これは安易な「サプリメント使用」の弊害(15%ほどがドーピングに該当するとの報告あり)に警鐘を鳴らすもので、「運動-栄養-休養」のスポーツライフ・マネジメント(鈴木正成)の重要性を示しています。
 ただ食事由来の鉄分摂取は、消化器系を経由するために若干効率が悪く、重症の貧血症の場合には鉄分が100%取り込める静脈注射が適用されています。
 日本陸連の問題提起は「貧血の治療」ではなく「パフォーマンスを上げるには鉄材注射が効果的」という誤った考え方が、相当数の長距離指導者の間に蔓延している状況に対応したものです。
 貧血症でない選手が安易に鉄材注射を繰り返すと「鉄過剰症」となって肝機能障害や鉄分がリンを吸収して「骨粗鬆症」を誘発することなどで選手生命に重大な悪影響を与えます。
 最近の日本女子マラソン陣がなかなか有望な新人が登場しないこととの関連も指摘されています。身長158㎝で体重が36Kg(BMIが15以下)といった選手が、大学や実業団入部後すぐに全く走れなくなってしまったという事例も報告されています。