2020年 8月 の投稿一覧

疲れた時はそれなりに・・

 よく「理想的なフォーム」は何ですか?と質問されます。
 ブレーキのかかる「踵接地」よりは「フォアフット接地」が良いのですか?、ピッチ走法の方が良いのですか?、呼吸法は「吸-吸-吐」の3拍子が良いのですか?、走りのリズムは3拍子と4拍子のどちらが良いのですか?など多々あります。
 ウサイン・ボルトの100m世界記録(9”58)時の速度曲線は70m以降じわじわと低下していますが、この時のランニングにかかわる筋の働きは「速度低下をもたらさないスキル」に対応して、トップスピードをなるべく低下させないような走り方に変更(適応)しているようなのです。実は20世紀までの100mの速度曲線は60mのトップスピード以降は低下(多分 ”オーバーストライドでの失速” )していたのですが、21世紀に入ると60m地点でトップスピードになるようなレース展開では「ベストタイム」が出せない(それ以降の速度低下が大きすぎる)と判断し「レース戦略」を変えてきたようなのです。これはエネルギー供給系の変容(ハイパワー系と解糖系の比率)に応じてスキルを変容(適応)させ、結果的にベストタイムが更新できるようトレーニングをしているものと考えられます。
 つまり「最高速度」を発揮することと「ベストタイム」を出すこととは異質の問題だったようです。「元気な時ははつらつと」そして「疲れてきたらそれなりに」動作を変容させ「トータルとしてのベストタイムがでる」ように適応制御できるトレーニングのほうがより「リアリティ」が高いと考えられています。
 「理想的なフォーム」は「エネルギー供給系のモード」に応じて複数存在するようで、特定のフォームに固執していては最終的に破綻をきたしベストタイムは生まれてこないようなのです。
 下図はたびたび紹介している全体のイメージです。

専門的持久力?

 ケガなどでトレーニングを中断したのち再開すると、全体的な練習時間は何とかこなせるのだがレースペースでの課題ができないことが良くあります。
 これは「一般的持久力」と「専門的持久力」の違いとされています。
 持久力の代表格は「最大酸素摂取量」といって1分間体重1Kg当たり何ccの酸素を取り入れられるのか・・という「有酸素的能力」があります。これに対して血中乳酸濃度を指標とする「乳酸性作業閾値」は、もう少し出力レベルの高い「解糖系」も関与してくる概念で、フルマラソンのタイムとの関連が高いとされています。フルマラソンは最大酸素摂取量の80%、血中乳酸濃度4Mmol/dl 以下で走り続けていますが、これ以上の強度(スピード)で走ると有限である解糖系を活発に使い始め、乳酸をエネルギーに変換するシステムが満杯になって乳酸濃度が上がって運動の継続が厳しくなり、最後まで続かずにペースダウンしてしまします。
 「一般的持久力」は有酸素的持久力の高さを反映しているのですが「専門的持久力」はこの「解糖系」を含んだ概念で、いわゆる「ここでスタミナが切れました・・」と表現される筋グリコーゲンが減少した「スピード持久力の低下」と関連しています。
 私たちがある程度以上の強度で運動を継続しているときは、複数の筋群を上手く組み合わせて対応しています。それぞれの筋には個別の「3✕3システム」がありますので、解糖系と有酸素系を上手に組み合わせてエネルギー生産を行っているのです。「専門的持久力」のトレーニングが必要な理由は、この動きとエネルギーをつくり出すシステムの「再構成」が必要であり、かつエネルギー供給系の減少に対応できる複数の動作系(スキルモード)を準備することが求められているからです(疲れたら疲れたなりに動きを変えて対応する)。

3つのパフォーマンス

 鹿屋体育大学の福永哲夫先生が、1985年に「マッスル・パフォーマンス」「モーター・パフォーマンス」「スポーツ・パフォーマンス」という概念を示し、エネルギー発揮の側面からその「階層性」を指摘しました。ボート競技のローイング動作でいえば、膝を伸ばしたり後ろに反ったりオールを引く動作はそれぞれに関与する筋のパフォーマンス(出力)が重要だが、最後にオールに力を加えるには全身動作のパフォーマンス(漕ぐ力)が重要であり、最終的なボートの速さを決めるには更にボートやパドルの形状、オールの硬さ(弾性係数)などが関与して決定されるというものです。やり投げのところでもお話したのですが「弾性体としてのやりの構造」は、選手の出力特性とかかわって重要な因子です。男子マスターズ陸上のトップクラスのやり投選手の方が、M60クラスから600g(女子の規格)に変わるときに「日本国内の女子用やりは柔らかすぎて使えない」とのコメントを残されています。選手のモーター・パフォーマンスは70m級なのに女子やりは60m級で設計されているかららしく、これも「インピーダンス・マッチング」と関連しています。
 パフォーマンスを改善するために「筋力トレーニング」を実施するのですが、実は「向上した筋力は向上させた使い方で最も効率よく発揮される」という「特異性の原則」があるのです。マシンや器具を使った動かし方は、実際のスポーツの動作とは異なりますので「再構成(トレーニング)」をして「マッスル」から「モーター」や「スポーツ」パフォーマンス改善への取り組みが必要です。
 東京大学の小林寛道先生は「認知動作型トレーニングマシン」を提唱し、スプリント動作マシンやアニマルウォーキングマシンなど動作とパワー発揮を結びつける大変独創的なメソッドを提示しその効果を示しています(お近くに ”十坪ジム” といった施設があれば利用できます)。
 実は「全く新しいコンセプトの用具」が当初使いこなせないのは、その用具に応じた「マッスル」と「モーター」のパフォーマンス改善ができていないからなのです。さらに「3×3システム」のところでもお話ししたように「マッスル・パフォーマンス」は低下(いわゆる疲労発現)しますのでそれに応じた対応が必要で、これが「コーディネーション(協応性)」トレーニングが必要な本来の意味だと思うのです。

用具とパフォーマンス

 ランニングシューズだけではなく、様々な新テクノロジーをうたった用具が発売されると何となく「使ってみたいな~」という感情が生まれます。
 厚底シューズが話題になった時も「履いてタイムアップできるなら使ってみようか?」と思った方も多かったと思います。
 テニスの「デカラケ」や「カービングスキー」は、今や当たり前のように皆さん使用していますが、発売当初は様々な意見が登場しました。「打ちやすい」「回りやすい」「軽くて操作が楽」という肯定派と「きちんとした技術が習得できない」「適当にできてしまう」「シビアな用途には使えない」という慎重派がいました。結果的に言えば「デカラケ」も「カービングスキー」もなくなることはなく、それぞれのコンセプトの中で「入門用」「中級用」「上級用」と用途を限定して高性能化しています。
 工学的な用語で「インピーダンスマッチング」という概念があります。本来は入出力での機器間の抵抗値をそろえることです(例えばオーディオのスピーカーは4Ωとか8Ωの抵抗値・・ヘッドフォンは32Ωなど・・があるのでそれに合わせて本来の音楽のディテール:全情報が再現できるようにアンプの出力仕様が設定されています)。
 投擲競技でいうと男子砲丸とハンマーは7.26Kg、円盤は2Kg、やり投げ800gですのでそれぞれの重さと動作に合わせた筋の出力特性が求められます。ところが「ペットボトル投げ」といって自分が最も遠くに投げることのできる重量を自分で調節する課題をやってみると個人個人で微妙に重さが違います。500gが最も飛距離が出る人もいれば600gの方が飛距離が出る人がいます。つまり自分の出力特性に合わせた重量があるようなのです。さらにやり投げの場合は、投げる瞬間(リリースといいます)にやりが撓みその撓みが戻る反発係数によって飛距離が決まるので「弾性体としてのやり」を考慮しなくてはいけません。自分の投げ動作の特性に対して「柔らか過ぎる」ものも「かた過ぎる」ものもこの撓みを上手く利用することができず飛距離が出ないのです。ある指導者の方が「女子用600gのやり(男子用より軽くて柔らかい)をうまく投げられる男子選手はスキルレベルが高い」と評価していました。
 水泳でも泳速にあわせたキックやプルの動作速度があって、必要以上に速くキックやプル動作をしても泳速には貢献しないことも指摘されています。
 ゆえに「革新的なテクノロジー」をうたった用具を使用したからと言って自分の出力特性とのミスマッチが生ずることもあり、動きと出力特性を変えるトレーニングのプロセスが必要となります。
 1998年の長野五輪で、新たに登場した踵部分の離れる「スラップスケート」への対応が遅れ、前シーズン連戦連勝・無敵であった堀井学選手の苦闘はこの典型例だったのです。スラップスケート登場以前は銀メダリスト・ウォザースプーン選手は「普通の選手」であり、スタートダッシュを得意とする清水宏保選手は登場前後も「相変わらずトップ選手」の金メダリストであったことも象徴的な出来事でした。