練習で「できた」ことが実際のプレー場面で「できない」のはよくあることです。ついつい「自分は精神的に弱気になるので・・」と思いがちなのですが本当にそうなのでしょうか?「ブルペン・エース」という言葉もあるようですが、ブルペンは所詮ブルペンであって実際の試合でのマウンドではありません。バッターもいなければアウトカウントもなくピンチでの緊張感も何もない訳ですから「リアリティ」がありません。ですから「そこでの」パフォーマンスが「全く別の環境」で発揮できると考えるほうが無理があります。
かつて桑田真澄さんが東京大学野球部の特別投手コーチになった番組が放映されました(NHK・クローズアップ現代:最弱チームは変われるか?、2013年放映)。東京大学野球部員は、甲子園出場経験はないものの大変真面目で春のシ-ズン前は1日12時間も練習していたのだそうです。そこでの練習原理は「時間をかければ上達するという ”神話” 」だったという内容でした。野球の場合プレー場面が多岐にわたるので練習時間が長くなるのはやむを得ない部分もありますが「リカバリーと機能向上のための時間の確保」を考えると長すぎるようにもに思います。
この点で前回触れた「メンタルトレーニング」の重要性がクローズアップされてきます。が、問題はこのトレーニングの「リアリティ」で、バーチャル環境や試合場面のリアルな再現といった「実際に想定される状況」での入念な実施が重要です。かつてあるメンタルトレーナーの方が「プロ野球投手でいい加減なのが多くてね・・」と嘆いておられました。あまりにもメンタルプラクティスの時間が短かったので内容を尋ねたところ「バッチリです、全員三球三振です・・」だったそうです。選手の願望としては理解できるのですがそのような状況は「非現実的」で「非効果的」なことだと思うのです。
かつて、スピードスケート500mで「スラップ」という踵の離れるスケート靴が導入された際に対応に悩んでいたH選手のメンタルリハーサルの内容が紹介されました。内容は実況中継のアナウンスで「100mを驚異のラップタイムで通過・・速い!・・そのまま世界新記録で金メダル!」というものだったのですが、スラップスケートの場合高速のまま最終コーナーに突入し転倒のリスクも高まるわけですので「100mはまずますのラップタイム・・ここから徐々に加速して最終コーナーでトップに立った・・速い!・・世界新記録!」というシナリオのほうがよりリアリティが高かったのではないかとも思うのです。
2023年 1月 の投稿一覧
「100本ノック」の意味は?
野球の守備練習で「100本ノック」は有名です。1964年東京五輪女子バレーボール・ニチボウ貝塚チームの伝説のレシーブ練習は世界的にも注目(批判も)されました。「黙って俺についてこい!」とのキャッチコピーもあったため「非科学的」だとか「根性主義」だとか「女性蔑視」だとかいろいろなコメントがありました。
昔ある学会のシンポジウムで、大学野球のコーチの方が米国の大学野球の関係者に自チームのノック練習を公開したそうです。そしてどうせ「非科学的だ!」とコメントされるのだろうと思っていたら、案の定「Bad!」で「あれは捕球をしているだけで送球(アウトにする)をしていない!」、「Too Long!」で「内野手はあんなに疲労困憊でプレーをすることはない!」とのコメントだったそうで、改めて「本場の合理性」を痛感したとのコメントが印象的でした。
しかしノック練習では「絶対にとれない打球」は課しません。ある程度の範囲で打球を調整してギリギリ捕球できる課題で実施しているのでその意味での「合理性」(”100本ノーミスでやり遂げた!”とのメンタリティ獲得)は担保しています。ただ野球の内野守備では、卓球やテニスやバドミントンのように10数回ラリーが続く状況とは異なりますのでもう少しスピード感のある現実的な練習課題のほうが良いようにも思われます。
現在では「脳の認知機能トレーニング」が注目されています。従来の用語では「メンタルトレーニング」と言われてきましたが、実際の動作を伴ったり筋電図や動作解析を伴ったり今流行りの「メタバース」での課題も含んでいます(NHK・BS:メンタルを鍛えて勝利をつかめ、2021放映)。
ボールゲームでの個人の感情のコントロール改善についてのリアルなバーチャル環境でのVRトレーニングの効果、2020年からのコロナ禍での新たなトレーニング方法(運動シミュレーションの行動化と言語化による脳内再編)、対戦型競技での反応速度や予測能力の改善(言語指示対する反応性の改善やゲーム映像の活用)などが紹介され、スポーツ心理学と神経科学との連携(脳神経系と筋活動との関連性)の重要性が指摘されていました。
イタリアでのリーバ・リハビリテーション研究所・ズッカ先生は脳の運動野に対する「経頭蓋直流電気刺激」による自転車競技選手の認知能力の向上がパフォーマンスの改善(1%程度でも表彰台が可能となる)に貢献する可能性を報告しています(ただ ”脳ドーピング” になるのではないかとの指摘もあります)。またベルギー・ブリュッセル自由大学のシェロン先生の、いわゆる「フロー」と表現される高いパフォーマンス発揮時の心理状態についての前頭前野の脳活動と筋活動関連のデータ比較によるフロー状態の再現可能性についての研究も紹介されていました。
東京大学の中澤公孝先生は障がい者スポーツのアスリートについて、機能的脳画像検査(fMRI)と経頭蓋磁気刺激(TMS:上記の直流電気刺激ではなく磁気を用いて筋収縮を起こす方法)を用いて健足側と義足側との脳内での「代償性適応」の可能性を指摘しています(中澤公孝:パラリンピックブレイン、東京大学出版会、2021年)。つまり障がい者アスリートでは、長期間にわたるトレーニングの継続により脳の運動実現様式を劇的に変容させて対応しているようで、神経科学や運動生理学やバイオメカニクス研究の発展と応用が新たな地平(健常者へのフィードバックの可能性)を切り開いているようなのです。
私たちの身体運動は「脳神経系(運動指令)」と「筋-骨格系(運動実現)」と「環境系(外乱)」との相互作用の中で行われていますので、その練習課題は「どのような根拠とねらいを持って行われているのか」を理解して取り組むことがトレーニング効果を高めるうえで大変重要なこととなるのです。