筋を構成する筋線維は2種類の速筋系筋線維と遅筋系筋線維があることはよく知られています。では「私は短距離が得意だから速筋系」とか「自分は長い距離の方が得意なので遅筋系」という表現は正しいのでしょうか?
実は私たちの筋はそれぞれで遅筋系と速筋系の割合が異なっています。例えば肘を伸ばす上腕三頭筋は平均で67:33で速筋線維の割合が高く、物を保持する上腕二頭筋は54:46でほぼ半々で、かつ個人個人でこの比率が異なるようなのです。これは「動きの性質」と関係していて、物を投げたり叩いたりする動きは「素速く」、物をずっと保持する動きは「粘り強い」ほうが都合が良いからです。走るのに関係する股関節の筋群も、大腿を後ろに運ぶ(伸展)大腿二頭筋は33:67で遅筋線維が多く、大腿を前方に運ぶ(屈曲)大腿直筋は62:38で速筋線維が多くなっています。また、大腿直筋は膝関節では下腿を前方に動かし(伸展)、大腿二頭筋は下腿を屈曲して後方に動かすという「二重の働き」をしています(多関節性の動作といいます)。水泳の平泳ぎのキック動作で、膝関節を使う準備動作で股関節を屈曲してしまい大腿前面でブレーキをかけてしまうのはこの性質が邪魔をしているのです(”踵をお尻の上に持ってくるように準備する”と意識すると股関節の前方への屈曲を制限できます)。
ランニングでは膝関節の屈曲‐伸展動作は、速度維持に貢献しないこと、膝関節はある程度固定したほうがランニング効率(エコノミー)が高いことも指摘されています。またストライドを無理に伸ばすと前方への踵接地(ヒールストライク)となってしまい接地ブレーキをかけてしまうことやストライドを抑えてハイピッチランニングにして腰の下方に接地してブレーキを少なくすることも重要です。
つまり多くの筋から構成される動作の性質を、状況に応じて上手にコントロールすることが求められているのです。また、筋の収縮エネルギーをつくり出す3つのエネルギー供給系の状況(いわゆる疲労の進行)も考慮して動作の性質を変えてゆくことも重要です。そしてこの際に主要な役割を果たしているのは器用な速筋系筋線維のようなのです(遅筋系筋線維はあまり器用に動かせない)。つまり速筋線維は大きな力を出すだけではなく力を発揮する方向を決定すること(スキル)にも重要な働きをしているようなのです。
2020年 11月 の投稿一覧
“マルチランナー”ってあり?
10月8日の男子10000mで、ウガンダのチェプテゲイ選手が26分11秒00秒の驚異的な世界新をマークし8月にマークした5000m(12分35秒36)と合わせてダブルタイトルホルダーとなりました。それまではエチオピアのベケレ選手が、2004年と2005年に両種目(12分37秒35と26分17秒53)で世界記録を保持しており15年ぶりの出来事です。ただ、レースには5000mまでペースメーカーがついており、一発勝負で駆け引きもある世界選手権やオリンピックとは異なります。マラソンでは、ナイキやイネオスのプロジェクトが「2時間の壁」への挑戦を続け、世界記録(2時間1分39秒)保持者のケニアのキプチョゲイ選手が、X陣形のサポートランナーとレーザーでのペース誘導などに支えられ、非公認ながら2時間0分25秒と1時間59分40秒をマークしました。ちなみにキプチョゲイ選手の五輪2連覇へのライバルはエチオピアのベケレ選手です。
ベケレ選手は5000mから42.195Kmのフルマラソン(2時間1分41秒)までトップクラスの記録を出しておりまさに「マルチランナー」の代表格です。2008年に人類初の2時間4分の壁を破ったエチオピアのゲブレセラシエ選手もトラック出身のマルチランナーでした。古くは、1952年のヘルシンキ五輪で、有名な「インターバルトレーニング」の創始者であるチェコのザトペック選手が5000m、10000m、フルマラソンを制しています。
5000mからその8倍以上(時間では9.7倍)ある42.195Kmでもトップクラスの成績を収める選手の特性を運動生理学的に説明することは難しい問題です。ボルト選手のような100m・200mタイプのマルチランナーと、ジョンソン選手のような200m・400mタイプのマルチランナーについては速筋線維と遅筋線維の筋組成やハイパワー系やミドルパワー系というエネルギー供給系の比率などから推察はできるのですが、長距離種目ではプロポーションの問題やランニングスキルなどが関与する「ランニング効率(エコノミー)」の問題が絡んでくるので複雑なのです。また持久力の指標とされる「最大酸素摂取量」は5000mと相関が高いのですが血中乳酸濃度4Mmol/dl時の疾走速度(LT)はフルマラソンと相関が高いとされています。では「マルチランナー」ではどうなのかというとまだまだデータがそろっていないのでよくわからない部分が多いのです。
ただマラソンで好記録が出せるようになるためのトレーニングはかなりの時間と経験が必要なようで、トラックランナーから転身した30歳代以降に好成績を残しているようです。(続く)