2024年 2月 の投稿一覧

ランニング時も「結果を予想して」走っている?

 私は週5日ほど走っているのですが、走り出す前に「何となく」シューズを選びます(薄底や厚底など数種類)。また、W-upを兼ねて1Km7分ほどのペースで走り出すのですが、1.5Km地点でその日のペースが「何となく」決まります。そのまま㌔7分のこともあれば6分30秒に上げる場合もあります。
 私はC社製の加速度計(モーションセンサー)を利用して、ストライド・ピッチ・接地時間や接地のタイミング・減速量・下肢のバネ係数などを250m単位で記録しています。面白いのは、同じ感覚(例えば㌔7分ピッチ182歩/分)で走っているつもりなのですが250m毎に見てみるとかなり変動しているのです。路面状況も違えばその日の体調も前半-中半-後半で違うので当たり前といえば当たり前なのですが「結果が㌔7分182歩/分となるように予想して」走っているようなのです。
 おそらくレース中であっても「自分の現在の状態と後半のコンディション」などを予測してランニングスキル(ここからはピッチ走法を意識するとか・・)を決定しているようです。「予想通り」であれば「結果との誤差( ”サプライズ” といいます)」が少なくなり「ドーパミン報酬系」が働くと考えられています。一方あまり良い結果が予想されないときは「それなりに」対応して「纏めている」ものと思われます。
 レースでも、スタートしてから数キロ経過し「なんとなく今日は行けそう・・」との予感がして、レース中盤からストライドを抑えてピッチを上げてペースアップをし、そのことが心理的高揚感(”よ~し、このままいければ久しぶりのベストタイムが出る”・・このプロセスはエネルギー供給系でのグリコーゲン動員力も高まります)を伴って達成感と充実感と幸福感を感じながらゴールすることができるのだと思います。
 この「予測」と「経過」と「結果」の誤差が少なくなることは「経験知」の積み重ねで改善して行くようで、マラソンの川内優輝選手の異例のレース出場頻度が高いこともトレーニングと割り切れば納得できるような気もします。
 また「集団走」をしていると集団なりの固有のリズムが生まれてくるようで「ミラーニューロンシステム」が働いているのかもしれません。「他者との情動の共有」も生じますので他者を知覚-理解する能力に関わる集団性や社会的スキルも生ずるようです(リゾラッティ、2020年)。ですから、実際のレース中ではそのリズムが自分のリズムと合わないと判断すると集団から離れたりもします。実は「同じストライド×同じピッチ=同じスピード」で走り続けているといわゆる「中枢性抑制」がかかりパフォーマンスが低下する可能性(山崎、2015年)があるので、給水時に一瞬ペースアップしたり集団から離れたりするケースもあるようです。
 

「運動司令」と「運動イメージ」と「ミラーニューロン」

 どうやら運動司令は「結果を予測して」発せられているようなのですが、では「何を手掛かり」にして予測しているのでしょうか?
 「予想脳」の藤井直敬先生も「能動的推論」の乾・坂口両先生も、外界からの絶え間ない感覚情報が重要で、視覚や筋感覚などの「感度調整」をして予測の精度を上げていることを指摘します(藤井直敬、予想脳、2005年:乾敏郎・坂口豊、脳の大統一理論、2020年)。まさに「注意・集中」をして状況を把握することが重要ということのようです。
 一方、実行する運動司令は各関節を「どの位動かすのか」という「関節トルク」(”グン”と蹴る”のか”ポン”と蹴るのかというイメージ)で発せられているようです(川人光男、運動軌道の形成、1986年)。
 では「運動を実行するイメージ」はどうなのでしょうか?
 リゾラッティ先生らの「ミラーニューロン」(リゾラッティとシニガリア、ミラーニューロン、2020年)では、「目前で他人が動く視覚情報」が自分の動きを誘発する「模倣」が背景にあるようで、その意味では「人の振り見てわが振り直せ」なのですが、人の振り見て生ずる「運動イメージ」の実体は何なのでしょうか?
 個人によって異なるとは思いますが、「一人称的イメージ」は「自分目線での自分の運動感覚」ですし「二人称的イメージ」は「あなたと私が一緒に動く運動感覚」ですし「三人称的イメージ」は「自分と関わりのない(わからない)運動感覚」があるように思います。世阿弥の有名な「離見の見」と「我見の見」もこれと関わっているように思われ、「我見の見」は自己満足の戒めとされていますが、「離見」と「我見」が揃っていて初めて熟達の境地に達するようにも思います。実はミラーニューロンには「自分が他人から真似されている」ことに反応する性質もあるようです。
 「ミラーニューロン」による「模倣」で想起される実際の運動イメージは「自分目線の一人称または二人称」であり撮影された外的映像のような「他人目線の三人称」ではないように思うのです。
 ただ、ヒトのミラーニューロンは「サルの猿真似」よりは少し高度な機能を持っているようで、ミラーリング時には休止していてその後活動する「スーパーミラーニューロン」がある可能性(階層性を持っている)も指摘されています(イアコボーニ、ミラーニューロンの発見、2009年)。「形をまね」「動作をまね」「目的をまね」て、「見よう見真似」で対応しているうちに「わがものに置き換わる」メカニズムはまだ良く分かっていないようです。