2024年 5月 の投稿一覧

「最適解」は一つではない?

 植田文也先生の「エコロジカル・アプローチ」では、スキルの指導における伝統的アプローチとしての「定型化」を否定します。そして「制約主導アプローチ」として、個人制約・タスク制約・環境制約の3種類の学習課題の有効性を指摘します。個人制約はスキルに影響を与える身体的能力、タスク制約は用具やボールサイズや重量(サッカーボールかフットサルボールかなど)、環境制約はサーフェス(土か芝か体育館かなど)やゲームスタイル(南米型か欧州型かなど)と関連して影響を与えます。サッカーの3対3で行われるスモールサイドゲームである「フニーニョ」などが「制約主導アプローチ」の一例として紹介されています。そしてブラジルにおける「ストリートサッカー」こそが自然な制約主導アプローチの典型であるとし、さらに「構造的練習」に対する「非構造的遊び」としてのストリートアクティビティである「パルクール(もともとはフランスでの歩兵訓練メソッドとして発案された)」も推奨しています。
 これは「自己組織(化)」と「バリアビリティ」に関わる運動経過の獲得は「融通の利かない定型化」としてではなく神経系-身体系-環境系のトップダウンとボトムアップの反復という枠組みの中でダイナミックに形成されることを意味します。私の提唱する「ダイナミックステレオタイプ(力動的常同性)」のモデルも、運動野での動作のプロトタイプ(原型)が小脳の690億個のニューロンにより多様な補正を受け大脳基底核の働きにより「最適な補正」を選択-実現するとするもので、最適な補正を「生起」させる要因は「外的環境の変動」と「三つのエネルギー供給系のモード変容」によることを指摘しています。つまり運動経過の中での「最適解」は一つではないということとなり、リゾラッティ先生のミラーニューロンによる「模倣」やフリストン先生の「能動的推論」という、結果と経過を常に予想し修正するプロセスである「知覚-運動カップリング」が存在するようなのです。
 
 
 

「戦術的ピリオダイゼイション」って何ですか?

_サッカーの関連サイトで、最新の理論としての「戦術的ピリオダイゼイション」が話題となっています。サッカーコーチの植田文也先生は「戦術的ピリオダイゼイション」の構成要因について「自己組織化」「カオス」「フラクタル」「バリアビリティ」を指摘します(植田文也、エコロジカル・アプローチ、ソル・メディア、2023年)。
_「自己組織」自体は、東大の多賀厳太郎先生の指摘する「神経系」「身体系」「環境系」のトップダウンとボトムアップの反復により個々の要素を統合した「新秩序(グローバルエントレインメント)」が生ずるとの「自己組織」理論(多賀厳太郎、脳と身体の動的デザイン 運動・知覚の非線形力学と発達、金子書房、2002年)なのですが、ボールゲームではプレーヤー集団がゲーム展開に応じて個々人ではなく集団としての適切な戦術や戦略を選択・実行することを指すようです(”グローカル”と表現されています)。「カオス」はオフェンスやディフェンスが「リセット」され、「フラクタル」は一定の戦術に向かって徐々にプレーが集約されていく(スローテンポから始まりテンポを徐々に上げてゆく)状態のようです。「フラクタル」は本来 ”1/fゆらぎ” といって一定の傾向で進むのではなく加速度的に傾向が強まってゆくことを指しますので「ロングパス」⇒「ミドルパス」⇒「ショートパス」⇒「ワンツーリターン」⇒「シュート」とテンポを上げてゆくことを指しているようで、上手くいかなければ再度「カオス」にリセットするようです。「バリアビリティ」はいわば「結果の正確性」を実現するための「経過の冗長性」と解釈(山崎)することができます。植田先生はロシアの著名な生理学者・ベルンシュテインの ”鍛冶屋のハンマータスク” を引用し「繰り返しのない繰り返し」と表現し、NTTコミュニケーションの柏野牧夫先生は、桑田真澄投手の外角低めへの正確な投球について、頭の位置やボールリリースの位置が最大20cmずれて実現されていることを指摘します(伊藤亜紗、体はゆく できるを科学する<テクノロジー×身体>、文藝春秋、2022年)。
_私の解釈ではいずれも「個人的運動」レベルでの「結果の予測」を伴った変容と考えているのですが、「対人的運動」での1対1でも、プレーを続けてゆく中でフェイントやフェイクを用いての1対0.5を経て1対0でポイントを得ることが可能となります。「集団的運動」であれば ”スクリーンプレー” などに典型的な3対3から3対2.5を経て3対2(=1対0を実現)でポイントを得ることを可能とします。そのプロセスの中で「自己組織化」と「バリアビリティ」が「カオス」と「フラクタル」というゲームの様相を経て実現されているようなのです。(続く)