2020年 6月 の投稿一覧

その場しのぎも・・

 私たちの大変複雑な身体運動システムはいくつかのレベルの事前準備がないと上手く動いてくれないのですが、状況の急変にも対応しなくてはいけません(場合によってはその場しのぎも・・)。
 下図は1984年にTurveyとKuglerが「知覚と行動への生態学的アプローチ」という論文の中の多様な解釈のできる興味深い図です。移動する動物のその時点での状況によって視覚から得られる情報の意味するものが異なり、スピードがあれば「登れる階段」も躓いたりすると「登れない階段」になります。
 テニスで、相手の打ったボールが「ネットイン」したときに ”これは拾える” とか ”これは無理だ” と判断する根拠は、自分のダッシュ力や足の疲労感、更には次のプレーの展開予想など様々な要因が関与します。相手の立ち位置とかかわって、”拾えそうなので取りあえず深い球を返して次に備える?” ”いやネット際へドロップショットで返してエースをとる” ”返球したところで相手にまた攻められる” などなどの様々な対応可能性があり、「その場しのぎ」といいつつも瞬時に様々な対応をしているようです。

 東京大学の多賀厳太郎先生は、「神経系」と「身体系」と「環境系」の相互作用のなかで、トップ・ダウンとボトム・アップの反復により身体システムが再編されるとして、「神経系」が運動司令を出し「身体系」が司令を受け「環境系」が外乱をもたらす、という固定的な枠組みではないことを指摘します。そして、個々のシステムの「一番遅い系」に拘束される ”スレイビング” から、全体が共同して新しいシステムを生み出す ”シナジェティックス” の重要性を指摘しています。
 このメカニズムには大脳皮質の「運動野」だけではなく「感覚野」と「前頭連合野」「小脳」と「大脳基底核」「運動神経」と「感覚神経」「脊髄」「筋」「用具」「環境情報」など多くの要因を含んでおり、練習を反復することによりこれらの要因が「エネルギーをつくり出すシステム」も改善しながら「新秩序」をもたらしてくれるようなのです。

事前準備をしている?

 私たちの「動きをつくり出すシステム」は大変巧妙にできていて膨大な数の骨と関節と筋を協調させています。なぜこのようなことが可能なのでしょうか?
 有名なロシアの生理学者ベルンシュタイン先生は、1940年代に「動作構築のレベル」という理論を示しました。進化の系統性を反映していて、緊張と姿勢のレベルA、筋-関節のリンク(シナジー)のレベルB、空間のレベルC、行為のレベルD、と高度化してゆきます。レベルAは「背景緊張(トニック)」として姿勢制御を支え、レベルBは、レベルAでの姿勢を基本に筋と関節の連動によって「動作」として「相動性(フェイジック)」に動かします。レベルCは、これらの動作を空間状況に応じて適切に「配置して終了させる」ものであり、最後のレベルDは、これらの連鎖を繋げて課題解決や達成を行う一連の「行為」です。例えて言えば、良い姿勢(A)を保った疾走動作(B)で400m(C)を走ろうとしても、適切なペース配分を支える複数の動作選択をする連鎖がなければ良いタイム(D)は生まれないのです。このレベルAとBはおそらく「言語的意図」は関与せず(無意識)、レベルCとDでは「言語的意図」が関わっているようです。
 1960年代後半ロシアのシック先生たちは「首なし猫」を使った移動実験の結果を発表し世界に衝撃を与えました。脳を幾つかのレベルで切断すると、ランニングベルトの上で胴体を固定された猫が歩いたり走ったりするのです。そしてベルトの速度が速くなると歩行からギャロップに動作が変わり、速度が遅くなるとギャロップから歩行に戻り、かつ動作が変わる速度はそれぞれ異なっているのです。
 歩行や走行の制御は、CPG(中枢動作発現機構)で決まっているのですが、状況に応じて私たちの重たい身体の動作様式を変える戦略(基本的には保守的・・ギリギリまで速く歩き、ギリギリまでゆっくり走る)が異なるようで、私たちの身体システムは大変柔軟にできていているようです。私たちの身体は「あまりにも複雑にできている」ので何らかの「事前準備」システムがないと上手く動いてはくれないようなのです。

(図は、伊藤正男、脳の設計図、中央公論社、1980より)

動きをつくりだすシステム?

 私たちの身体は、骨と骨とが関節を介して連結し関節をまたいだ筋が収縮して「動き」が生まれます。多くの筋は「多関節性」といって複数の関節を介していますので、例えば肉離れを良く起こす大腿裏側のハムストリングスは、上部の股関節には「伸展」に下部の膝関節には「屈曲」に関与します。大腿前面の大腿四頭筋は、股関節には「屈曲」に膝関節には「伸展」に関与します。ですから「膝を曲げよう」という時にどちらの筋を「主役」にするのか選択する必要が生まれます。立位では大腿四頭筋を「弛緩」させますし伏臥位(うつ伏せ)ではハムストリングスを「収縮」させます。垂直跳では膝関節の屈曲-伸展に連動してハムストリングスが股関節を伸展させます。
 私たちはそんな「面倒くさい手順」を考えずに「とにかく高く跳ぼう」という意識で運動を実施しています。これは私たちの「動きをつくりだすシステム」からの命令が「関節トルク」といって”ギュン”とか”ギュ-ン”とか”ギュイーン”という関節を動かす「力と速度」の性質を持っているからです(ATR:川人光男先生)。”膝を0.3~0.4秒間で105度から180度に伸展してそこから0.05秒遅れて股関節を45度から・・・”などとやってはいないのです。
 この際、”ギュン”と動かすときと”ギュイーン”と動かすときでは筋の速筋線維と遅筋線維の活動様式が異なりますので私たちの「動きをつくりだすシステム」は大変柔軟に命令を出して対応しています。まして全身の数多くの関節と筋を目的に合わせて協調させて動かすためには膨大な運動司令が必要となり、それを可能とするために日々練習を繰り返してしているのです。
 これは脳の意思決定にかかわる前頭連合野、感覚野や運動野、小脳や大脳基底核といった複数のシステムを統合する大変巧みなシステムを私たちが持っているからです(続く)。

筋の3×3システムって何ですか?

 私たちの筋肉は大きく分けて「速筋系」と「遅筋系」の筋線維から構成され、さらに速筋系はTypeⅡaという普通の速筋系とTypeⅡb(d/x)といういわば「スーパー速筋系」に分類されます。速筋線維と遅筋線維の比率はそれぞれの筋によって異なっており、またその速筋/遅筋線維の構成比は変わらないといわれています。ところががTypeⅡaとTypeⅡbとの比率は、トレーニング内容によって変化しトレーニングをやめると元に戻るようです。また、長期的には加齢によって速筋線維の割合が低下(退化)することも指摘されています。
 この速筋/遅筋線維比は、関節をまたいで反対の方向に動く「拮抗筋」と協働して「動きの性質」を決めます。力強く大きく動くのかこまめに持続的に力を発揮するのか・・また拮抗筋はそれとどのように協働すべきかということが「神経系からの司令」によって決定されます。
 一方、筋線維の内部では筋収縮のためのエネルギーを生み出す必要があります。短時間大きな出力を得るには「クレアチンリン酸系」というバッテリーのようなシステムが、スポーツ動作のような一連の高出力は「解糖系」というガソリンエンジンのようなシステムが、そして解糖系で生まれた「乳酸」のエネルギーへの変換や糖質や中性脂肪からの持続的エネルギー産生は「有酸素系」というシステムが関与します。
 つまり筋は3つの「動きをつくりだすシステム」と3つの「エネルギーをつくり出すシステム」の「3×3システム」で構成されていることとなります。さらに主働筋と拮抗筋とそれらを補助する筋から構成される「マルチレイアシステム」という大変に複雑なシステムを上手に使いながら最後まで身体運動を支えてくれているようなのです。
 長い坂道を変速機付きのロードバイクで時速15Kmを維持しながら登っていくシーンを想像してみてください。最初は回転比が低い重たいギアでペダルを踏んでいきますが、すぐにギアを軽くして回転数を上げペダリング負荷(出力)を軽減します。さらに最後にはギアを更に軽くして最大限の回転数でスピードを維持したまま何とか登り切ります。この時もペダリングで踏み込む太ももの大腿四頭筋と引き上げるハムストリングスに加え、足首のペダリング動作を支える腓腹筋や前脛骨筋などが協働して、それぞれの3×3システムを最大限に活用して支えてくれているようなのです(続く)。