21世紀にはいって遺伝子解析の急速な発展が起こり「次世代シークエンサー」といわれる解析手法を用いた全ゲノム解析が進み、それに関わり幾つかの運動機能に関連する遺伝子(遺伝子多型)が特定されてきています。順天堂大学の福典之先生は、筋力・筋パワーや最大酸素摂取量、速筋と遅筋の筋組成に関わる遺伝的要因の関係について56の遺伝子座が検討されていることを指摘しています。速筋線維の構造に関連するACTN3遺伝子多型で有名なRR型・RX型が速筋系筋線維に発現するのに対しXX型と持久的能力との明確な対応はみられないこと、国際級の長距離ランナーではRR型やRX型の頻度が高いこと、血管収縮に関連するACE遺伝子に関してはアジア人とヨーロッパ人では表現型が異なること、有酸素的能力に関与すると考えられる細胞ミトコンドリアDNA多型(全ゲノムDNAとは異なる)にも持久的能力だけではなく瞬発系の運動能力にも関与する「ハプログループ」が存在しることを指摘しています。これらの遺伝子多型の解析は選手の運動能力の「適性判定」に寄与する可能性があることも論議されています。(福典之、DNAとパフォーマンスの関係、SPORTS SCIENCE MAGAZINE、ベースボール・マガジン社、2015年)
 一方、iPS細胞に代表される遺伝子操作に関わる革命的方法の進展は、研究者からは「ある意味ではヒトをつくるほうが簡単」とのコメントも寄せられています。「ミオスタチン」という筋再生にかかわるホルモンは食用のため「簡単に筋肉の多いの動物(当然食料利用の生産性需要が高い)」をつくり出しており、このミオスタチンの遺伝子操作をすれば「筋力アップ」した「人間」が誕生する可能性は否定できません(というか懸念されています)。
 スポーツ工学のシェフィールド・ハラム大学のヘイク先生は、身体能力の増強に関して世界アンチドーピング機構(WADA)が治療に関わるTUE申請で、治療に限って幹細胞治療を認めているのですが、そのドーピング利用の可能性に懸念を示しています。マウスの実験では遺伝子改変による遅筋系筋線維の増加や肝臓や腎臓の脂肪組織における代謝を亢進させるPEPCK-C酵素を改変した「スーパーマウス」の事例も報告され、貧血治療に用いられる「レポキシジン」使用の可能性も懸念しています。(S.ヘイク:藤原多伽夫訳、スポーツはどこへ行く:スポーツを変えたテクノロジー、白揚社、2020年)
 2018年中国での双子の胎児へのゲノム編集を行いエイズウィルスへの耐性を持つ遺伝子操作を実施したことが倫理面を含め大きな話題となりました。また「優性教育」を標榜する中国政府のスタンスから受精卵へのゲノム編集実施(いわゆる“デザイナー・ベイビー”)を加速するのではないかとの懸念も持たれています。難病治療のための遺伝子操作の可能性と“人間改造”の可能性がどこまで許容されるかはまさに“未来への分岐点”なのかもしれません。(堀内健太、ゲノムテクノロジーの光と影:テクノロジーは神か悪魔か 2030 未来への分岐点Ⅱ、NHK出版、2021年)