2022年 10月 の投稿一覧

発汗量が多いのは ”マズイ” のでしょうか?

 マラソンレースのTV中継序盤、アナウンサーが「〇〇選手、大変汗をかいていますが大丈夫でしょうか?」とコメントすることがあります。多分その根拠は「大量発汗」≒「水分損失」≒「脱水症発症」という図式があるようなのですが、大量発汗している選手がそのまま上位でゴールすることもあります。また運動時の発汗量は個人差が大きく、環境温度や湿度や運動強度との関係でも大きく変容しますし、ミネラルの損失によるトラブル(水分のみの摂取による低ナトリウム血症発症など)にも対応する必要があります。
 現在世界的レベルにある日本競歩陣は、この発汗量と水分摂取に関するスポーツ医科学的サポートを最大限活用しています(NHK:”歩いて”東京オリンピック金メダルへ、2020年放映)。
 競歩競技をサポートする医科学チームは、レース当日の気象コンディションを想定し、スタート後何時間で気温と湿度、コースの路面温度(現在の大会は2~2.5Kmの周回コースで実施される)が変化するのかも予想したうえでの給水計画(給水地点での給水量やスペシャルドリンクの内容)を立てます。
 日本陸連科学委員長の日体大・杉田正明先生は、運動生理学的には2%の発汗量からパフォーマンスが低下するとのデータから、事前のトレーニング段階から選手個々人の発汗特性を把握して対応しています。発汗量はほぼ体重変動(エネルギー産生のための糖や脂肪の消費量は100g以下)ですので、トレーニング時の気温や湿度を考慮した体重変動から発汗特性を推定します。また、安静時の汗は汗腺での塩分再吸収があるので無味無臭なのですが、多量の発汗時は再吸収が間に合わないので汗にミネラル(ナトリウムやカリウム、アンモニアなど)が混入してきます。そしてミネラル損失量にも個人差がありますので、体重変動のチェックとともに背中に張ったパッチを回収・分析してミネラル成分の分析も行います。ある選手の30Km練習時のデータでは発汗量が3.4%と推定され、本来であれば1610ml必要であるのに760mlしか給水していないことがわかりトレーニング時からの適切な水分補給を心掛けるようになった(選手本人の意識改革の成功)ことが報告されています。そして、選手の発汗特性に合わせて給水量やスペシャルドリンクの摂取タイミングを決定します。また、暑熱環境で行われるオリンピックや世界選手権では「冷却グッズ」を準備します。帽子内部や頸や手掌につける冷却材の映像を見た方もいらっしゃると思います。
 「大量発汗」は暑熱適応に対するその個人の適切な反応であると考えられますで、必要な水分とミネラルの補給を心掛けることで脱水や熱中症のトラブルを回避することができます。ところが実際には推奨されている運動開始前の水分摂取(ウォーターローディング:350~500ml)の実施や運動序盤での水分摂取を心掛けている選手が少ないのも事実なのです。 

(再録)「腸内細菌叢」と伝統的食事内容と後天的遺伝子変異(エピジェネティックス)?

 ロンドン大学のT.スペクター先生は、健康に関わる双子研究の第一人者です。最近の著書で、肥満や糖尿病といった私たち人類にとっての「時限爆弾」が、巷で様々な問題を引き起こしている「非科学的ダイエット」によって更に深刻化していることを指摘しています(ダイエットの科学、白揚社、2017年)。そして、「ジャンクフード」や「トランス脂肪酸」などが引き起こす健康障害は明確であるのに対して、いわゆる「健康によい」とされる様々な食品の効用が、地域と個人によって異なることを指摘します。
 確かにイヌイットの人たちのアザラシ肉や内臓、脂肪など動物由来96%のカロリー摂取であるのに対してペルー高地ケチャの人たちは植物由来95%のカロリー摂取であり、タンザニアのハッザの人たちは野生動物の肉とハチミツ、ベリーや塊茎が主食で、ケニアのマサイの人たちは肉と牛乳の大量摂取と少量の野菜、アマゾンのヤノマミの人たちは加熱調理したバナナやキャッサバの主食に野菜、果物、昆虫とわずかな野生動物の肉、というそれぞれが地域特有の「メニュー」でそれなりの健康を維持しています。実はこのことが根拠の乏しい様々な「○×ダイエット法」が横行する背景でもあります。 
 有名な旧ソ連のメチニコフ博士のコーカサス地方の長寿研究では、牛由来とされる「腸内細菌叢」が、長い歴史の中で営々と築き上げてきた食生活と生活習慣とに関連してヨーグルトなどの乳製品を「餌」として好ましい腸内環境を生みだし長寿を支えているものと考えられています。健康的とされる「地中海料理」もイギリスの人たちへの貢献度は限定的であることも象徴的です。いわゆる「腸内細菌叢」が地域特有の食メニューから必要な栄養素とメッセージ物質をつくり出していることは間違いのないことのようで、この「腸内細菌叢の多様性」が失われると潰瘍性大腸炎や免疫細胞の暴走をまねくことも指摘されています(NHK:ヒューマニエンス 腸内細菌、2021年放映)。
 このように長期にわたる食習慣に対応して私たちの腸内細菌叢は、集団的にも個人的にも変容してきたようで、様々な機能を発現する遺伝子スイッチの発現にも関連しているようです。最近「エピジェネティックス」といって各種遺伝子スイッチの「後天的なオン=オフ」を変化させて遺伝子を変化させる働きがあることが指摘されてきています。
 国立遺伝学研究所の佐々木裕之先生は、いわば「獲得形質が遺伝する?」との仮説との関連を指摘し、エピジェネティックな病気発症のメカニズムと「DNAメチル化(塩基配列には変化を与えないで化学装飾というかたちで遺伝子に目印をつけ、遺伝子に転写してゆく)」や遺伝情報に関わる「ヒストン受容体」との関係から環境要因や生活習慣とも関連してメチル化が起こる可能性を指摘します(エピジェネティック入門、岩波書店、2005年)。

 

腸内細菌叢の「多様性」って何ですか?

 最近話題の腸内細菌叢(フローラ)ですが、腸内細菌の多様性が失われると様々な不都合を引き起こすことが指摘されています。かつて、ブルガリアの長寿村の研究から牛由来の腸内細菌が関係していることが指摘され「ヨーグルト」が注目されてましたが、実はそれだけではなく長寿村の伝統的食材や料理法によって後天的な遺伝子変異(エピジェネティック)も含め総合的に長寿に貢献していることが分かってきています(日本人がブルガリアのヨーグルトだけを摂取しても効果は限定的?)。
 腸内細菌(Microbiota)は生物進化の営みの中で私たちのおなかに住み着いたもので「免疫寛容」という仕組みで自身の免疫システムからは攻撃されません。有名なビフィズス菌や乳酸菌、悪さをする大腸菌やピロリ菌、ウェルシュ菌などなどの善玉菌2割、悪玉菌1割、日和見菌7割のおよそ100兆個が、悪さをしたりビタミンや酪酸などの栄養素の合成をしたりしながら共存しています。また、子どもは出産の際にお母さんの産道で最初の「洗礼」を受けその後母乳からお母さんの腸内細菌叢をもらって成長してゆき、3歳くらいの腸内フローラが最も好ましいパターンであるといわれています。そして老化に伴ってビフィズス菌などの善玉菌が減少してゆくこともよく知られています。
 京都府立医科大学の内藤裕二先生は、日本人1800人分のAI解析データから、腸内細菌叢がA~Eの5つのタイプに分類されることを示し、「高たんぱく高脂質食」「洋風バランス食」「炭水化物偏重食」「高たんぱく高脂質+多マヨネーズ食」「和風バランス食」といった食事内容(摂南大学データによる)に対応して腸内細菌の様相が大きく異なっていることを指摘しました。そしてタイプAはタイプEと比較して糖尿病や高血圧のリスクが11~12倍高く、それまでの食習慣を反映している可能性を指摘します。そして、多様な腸内細菌叢を維持するためには、乳酸菌やビフィズス菌等の摂取に加え、腸内細菌の「エサ」となる水溶性植物繊維の摂取を推奨しています(NHK:クローズアップ現代、腸内細菌、2022年放映)。
 つまりキーワードは「腸内環境(細菌叢)の多様性」のようで、食事や運動といった生活習慣をダイレクトに反映し、腸内細菌叢の単純化は「潰瘍性大腸炎」などの重篤な障害を引き起こします。
 さらにロンドン大学のスペクター先生は「腸内細菌の殺戮兵器」としての抗生物質の存在(特定の菌に特化した「狭域抗生物質」ではなく非特異的な「広域抗生物質」の乱用)を指摘します。つまり抗生物質によって生得的な腸内細菌叢がクリアされてしまい様々な不都合を発症するリスクです(T.スペクター、ダイエットの科学、白楊社、2017年)。じつは病原性大腸菌による重症の下痢は、病原性大腸菌が他の腸内細菌を「追い出し」て縄張りを独占するための戦略ではないかというジョークがある位なのです。 

(再録)「心拍ゆらぎ」ってなんですか?

 陸上競技の100mスタート前、運動が始まっていないのに心臓が「ドキドキ・・」します。トレーニングを積んだ選手では200拍/分に達することもあるようです。
 これは私たちの心拍数が、運動による酸素需要量の増大に対応するだけでなく、自律神経系の影響を受けているからです。心拍数は精神的緊張時に「交感神経系活動」が亢進して増加し、リラックス時には「副交感神経系活動」が優勢になって減少します。そして「心拍ゆらぎ」といって通常でも1拍ごとの時間も微妙に変動しています。毎分60拍であっても、インターバルが0.9秒や1.1秒、0.8秒や1.2秒というふうに変動しています。2秒以上心拍間隔が空いた場合は「不整脈」と診断されますが、私たちの心拍数は常に変動しているのです。
 また呼吸相(呼気や吸気)にも連動して変動するので「呼吸性洞性不整脈」とも呼ばれ、吸気時(インスパイア:魂が入ってくる)には心拍数が増加し、呼気時(エクスパイア:魂が抜ける)には心拍数が低下します。目覚め時は吸気相が、入眠時は呼気相が自然な反応です。ヨガやメディエーション(瞑想)などでは、私たちが自律神経系に唯一関与できる呼吸のコントロールからその改善をはかることとの関連も指摘されています。
 高齢者や心筋梗塞患者の方ではこの「心拍ゆらぎ」が減少しますし、逆に子どもや運動選手は大変大きく変動しています。交感神経系はいわば「アクセル」、副交感神経系は「ブレーキ」に相当しますので、自律神経系への反応性の良し悪しを反映しているのです。
 よくトレーニングされた選手では、安静時は副交感神経系のパワーが高いので心拍数は低く揺らぎも大きく、運動の開始に合わせて心拍数は急激に高まります。ところが自律神経系への反応性が低い場合には、安静時心拍数が高くかつ運動時にも十分心拍数が上昇せず、最悪の場合心停止を引き起こす可能性もあります。また、過度の精神的ストレスは「心拍ゆらぎ」を減少させることも報告されており、このメカニズムを利用して心拍数から「ストレス度」を推定するアプリケーションも開発されています。
 つまり「心拍ゆらぎ」は私たちの心拍活動の自律神経系への反応性を示しており、心臓が「ドキドキ・・」したり「のんびり・・」したりするのは実は健康の証明でもあるのです。

子どものランニングと心拍数の不思議な関係!

 ここ3年ほど共同で、子どものランニング(1000~2000m)中の心拍数を検討しています。一昨年の宮城と東京と兵庫の小学6年生の調査では、心拍数が200拍/分を超える子どももいてビックリしました。時計型心拍計なので測定誤差かとも思ったのですが140拍/分程度の子どももいるのでデータは正確なようです。面白いのはランニング速度(ラップタイム)と心拍数の関係が大人のように相関関係がない点です。大人であれば、ランニング速度に応じて心拍数が上昇するのですが、100m40秒以上の子どもでは多少心拍数が少ないように見えますが統計的な差はありません。どうやら子どもの負荷-心拍応答特性は大人とは異なっているようです(下図)。
 昨年の岐阜の中学生の調査では、やはり心拍数が200拍/分を超える子どもが多くいましたが、一方陸上部で長距離トレーニングを行っている子どもでは170~180拍/分でそれなりに速いタイムで走っているのです。
 ランニングを継続するとエネルギーを作り出したり乳酸を処理したりするために「酸素」が必要となり「心拍出量」が増大します。「心拍出量=1回拍出量✕心拍数」という関係が成立しますので、1回拍出量と心拍数はともに上昇し始め、1回拍出量が頭打ち(一定)になって心拍数は上昇し続けるというメカニズムでランニングを継続します。ところが2時間走など長期間の運動を継続していると、後半のペースは変わらないのに心拍数がじわじわと上昇し始めます。これはカルディオ・ヴァスキュラー・ドリフト(心血管変動)と呼ばれる現象で、発汗により血液濃度が高くなる(粘性抵抗が増える)と1回拍出量を減らして心拍数を上昇させて心臓への負担を減らしているようなのです。
 つまり私たちの身体は大変良くできていて、心拍数だけではなく1回拍出量とも連動して運動を継続しているようです。また心拍数は自律神経系の支配も受けていますので「酸素需要量」だけではなく「緊張状態」や「準備状態」も反映します。スタート前の心拍数の高まり(ドキドキ状態)はこのメカニズムを反映しているのです。
 運動経験の少ない子ども(多分大人も)の場合には、この「心拍出量=1回拍出✕心拍数」という関係が上手く成立せず、心拍数のみの上昇や1回拍出量の上昇が上手くいかない(いわゆる ”空ぶかし状態” )のではないかと考えていますが、まだ結論は出ていません。