2021年 10月 の投稿一覧

「運動能力」はあるのだけれど・・

 「運動能力」には自信はあるのだけれどボールゲームはいまいち・・というケースは何を意味しているのでしょうか?
 これは「運動能力」という概念があいまいな点に起因します。「筋力」や「持久力」といったいわゆる「体力」の概念も定義を明確にして使用しないと「何を現わしている」のかが不明確なのです。
 かつてスピードスケート選手の体力測定で、日本代表のジュニア選手の「握力」が低かったのでコーチが「俺より筋力がないのか・・」と握力の強さを示して見せたという笑い話があります。当然その時点で500mや1000mを滑ればジュニア日本代表の方が速いわけですから「握力」の測定に何か意味があるのか・・ということになります。
 自転車エルゴメーターを利用して測定される持久力の指標「最大酸素摂取量」も「ペダリング運動」のデータですので、長距離走と自転車ロードレース、長距離スケートやXCスキーとでは「運動形態」が違いますので意味するものも異なります。自転車競技選手の最大酸素摂取量の「絶対値」は高いのですが、長距離ランニングの場合は体重が影響しますので「体重当たりの最大酸素摂取量」(ml/kg/min)の方がランニングのパフォーマンスを反映することとなりますし、「乳酸性作業閾値」といって血中乳酸が4mMol/dl 濃度になる時のランニングスピードの指標の方が20Km走やフルマラソンでのパフォーマンスと相関が高いとのデータもあります。
 競技種目別の体力要素の特徴を説明するために下図のようなレーダーチャートがよく用いられます。しかし問題は、例えば「筋持久力」をどうやって測定するのかという「測定方法」が実際の「運動形態」と対応してるのかということです。

 「30秒間の最大腹筋運動(回数)」も筋持久力の指標とされているのですが脚の筋力発揮の指標ではありません。ペダリング運動やステップ運動などの運動形態の類似した測定方法を採用することが重要で、それでもボールゲームなどの複雑な運動形態の反復がその競技で要求される「筋持久力」を代表できるかどうかは疑問です。
 つまり「運動形態」と連動した「運動能力」が重要で、旧ソ連圏のトレーニング理論では「Bio-motor ability」という概念が用いられ、「一般的持久力」と「専門的持久力」、「一般的ジャンプ力」と「専門的ジャンプ力」といった区分が用いられていました。それに対応してトレーニングの「期分け(ピーキング)」の理論が提唱され、シーズン終了からの「移行期」に続く「準備期前半」では一般的能力の改善と向上、「準備期後半」では技術的課題と対応した専門的能力への収斂を経て「試合期」に移行するというシナリオです。
 私たちの身体は大変複雑な構造をしていて「自由度」が高いので、幾つかの基本的運動形態(這・歩・走・跳・投・泳など)とその組み合わせで運動司令を出しているようです。つまり「走」という運動形態を構成する運動能力は、ゼロ発進のダッシュ、一定区間を高速で走るスプリント、長距離を相対的に速く走るランニング、ウルトラマラソンや24時間走など長時間での完走を目指すものなど様々なものが求められます。この「基本的運動形態」とそれを支える「一般的運動能力」と「専門的運動能力」との関係をある程度明確にしたうえでトレーニングに取り組むことが重要なようなのです。 

「マイペース」は一定ではない?

 中~低強度の速度で長時間走り続ける「ディスタンストレーニング」と緩急をつける「インターバルトレーニング」は長距離走の基本練習です。最近では筋で産生される「乳酸の再利用」にかかわってこのインターバルトレーニングの有効性が指摘されています。これは持久力の要求される他の競技にとっても重要な内容で、2018年にNHKで放映された「乳酸パワーで持久力アップ」ではサッカーのサンフレッチェ広島でのトレーニング改善効果が紹介されていました。
 ニュージーランドの著名な長距離コーチ・故アーサー・リディアードは週100マイル(160Km)を基本的トレーニングとして位置付けていましたが、毎日24Km走るよりは36Kmと12Kmを組み合わせて走る方がトレーニング効果が高いこと、また、トレーニング効果があるため長期的には同じスピードでの反復はなく基礎スピードを徐々に上げ、有酸素能力のギリギリのレベルで2時間走り切ることの重要性を指摘します(「リディアードのランニング・バイブル」小松美冬訳、大修館書店、1993年)。
 反復される筋力発揮では、労作間に完全な休止ではなく他の部位を動かすことでパフォーマンスがより改善するという有名な「セーチェノフの積極的休息」の概念があります。クレストフニコフは「長い単調な運動は中枢神経系に疲労の増大をもたらし、運動感覚は失われる。運動を交替したり、諸運動の相互関係をよくみて、正しい一貫性のある運動を選択することにより、大脳皮質における運動能力の高い水準を確保することができる」(クレストフニコフスポーツの生理学、不昧堂出版、1978年)と指摘しています。
 どうやらランニングであっても「同じスピード=同じストライド✕同じピッチ」で走り続けることは中枢性抑制(脳での疲労現象)を引き起こすようです(長距離選手は ”タレる” という表現を使う)。レース中の予想外のペースアップについていけないことは、私たちの自律神経(交感神経)の反応速度とも関係しているようで神経システム上交感神経系が作用して心拍数をあげるために数秒間を要することが指摘されています。一方「そろそろ来るぞ!」と予測をしていた場合には事前対応があるため反応できるようなのです。
 単調に思えるランニング動作でも、レース中に腕をまわしたり、急に先頭に立ったり給水の際に瞬間的にピッチを上げたりすることで中枢性抑制を回避しているとも考えることができます。野球の前田健太投手が投球前に行う「マエケン体操」なども、投動作の反復により誘発される中枢性抑制を回避するための対策なのかもしれません。


 また、私たちのもつ3つのエネルギー供給系と3種類の筋線維から構成される「3×3システム」を考えても、ハイパワー系(クレアチンリン酸系)と超速筋線維系とから構成されるマトリクス(HSF:右上)は中枢性抑制を受けやすいものと考えられます。自転車の速度は、ペダルの重さ(トルク)と回転数(ケイデンス)で決定されていますので、レース中の上り坂では「ギアチェンジ」をして回転数を上げてペダリング負荷を軽減し、解糖系と速筋系から構成されるマトリクス(MF:中中)に主役を移して速度を維持し、その間にHSFマトリクスの中枢性抑制を脱抑制して次のアタックに備えておくといった戦略が求められるようです。東京大学の八田秀雄先生らは、自転車レース中のケイデンスは乳酸性作業閾値で推移しているのではないかとの仮説(日本運動生理学会、2015年)を示されています。
 つまり「マイペース」を維持するということは「一定の状況の維持」を意味するものではなく、レースの展開や身体の運動エネルギーの残存状況に対応してピッチやストライド(ペダリング負荷)を変容させて好記録を目指すという高度な戦略を反映しているようなのです。