「マイペース」は一定ではない?

 中~低強度の速度で長時間走り続ける「ディスタンストレーニング」と緩急をつける「インターバルトレーニング」は長距離走の基本練習です。最近では筋で産生される「乳酸の再利用」にかかわってこのインターバルトレーニングの有効性が指摘されています。これは持久力の要求される他の競技にとっても重要な内容で、2018年にNHKで放映された「乳酸パワーで持久力アップ」ではサッカーのサンフレッチェ広島でのトレーニング改善効果が紹介されていました。
 ニュージーランドの著名な長距離コーチ・故アーサー・リディアードは週100マイル(160Km)を基本的トレーニングとして位置付けていましたが、毎日24Km走るよりは36Kmと12Kmを組み合わせて走る方がトレーニング効果が高いこと、また、トレーニング効果があるため長期的には同じスピードでの反復はなく基礎スピードを徐々に上げ、有酸素能力のギリギリのレベルで2時間走り切ることの重要性を指摘します(「リディアードのランニング・バイブル」小松美冬訳、大修館書店、1993年)。
 反復される筋力発揮では、労作間に完全な休止ではなく他の部位を動かすことでパフォーマンスがより改善するという有名な「セーチェノフの積極的休息」の概念があります。クレストフニコフは「長い単調な運動は中枢神経系に疲労の増大をもたらし、運動感覚は失われる。運動を交替したり、諸運動の相互関係をよくみて、正しい一貫性のある運動を選択することにより、大脳皮質における運動能力の高い水準を確保することができる」(クレストフニコフスポーツの生理学、不昧堂出版、1978年)と指摘しています。
 どうやらランニングであっても「同じスピード=同じストライド✕同じピッチ」で走り続けることは中枢性抑制(脳での疲労現象)を引き起こすようです(長距離選手は ”タレる” という表現を使う)。レース中の予想外のペースアップについていけないことは、私たちの自律神経(交感神経)の反応速度とも関係しているようで神経システム上交感神経系が作用して心拍数をあげるために数秒間を要することが指摘されています。一方「そろそろ来るぞ!」と予測をしていた場合には事前対応があるため反応できるようなのです。
 単調に思えるランニング動作でも、レース中に腕をまわしたり、急に先頭に立ったり給水の際に瞬間的にピッチを上げたりすることで中枢性抑制を回避しているとも考えることができます。野球の前田健太投手が投球前に行う「マエケン体操」なども、投動作の反復により誘発される中枢性抑制を回避するための対策なのかもしれません。


 また、私たちのもつ3つのエネルギー供給系と3種類の筋線維から構成される「3×3システム」を考えても、ハイパワー系(クレアチンリン酸系)と超速筋線維系とから構成されるマトリクス(HSF:右上)は中枢性抑制を受けやすいものと考えられます。自転車の速度は、ペダルの重さ(トルク)と回転数(ケイデンス)で決定されていますので、レース中の上り坂では「ギアチェンジ」をして回転数を上げてペダリング負荷を軽減し、解糖系と速筋系から構成されるマトリクス(MF:中中)に主役を移して速度を維持し、その間にHSFマトリクスの中枢性抑制を脱抑制して次のアタックに備えておくといった戦略が求められるようです。東京大学の八田秀雄先生らは、自転車レース中のケイデンスは乳酸性作業閾値で推移しているのではないかとの仮説(日本運動生理学会、2015年)を示されています。
 つまり「マイペース」を維持するということは「一定の状況の維持」を意味するものではなく、レースの展開や身体の運動エネルギーの残存状況に対応してピッチやストライド(ペダリング負荷)を変容させて好記録を目指すという高度な戦略を反映しているようなのです。

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