滑っても転ばない・・?

 タイトルはスキーのお話ではなく雪道ランニングのお話です。2021年は元旦から新潟は雪景色で「雪道ランニング」となっています。今年はあちこちで積雪が多いのでランナーの皆さんは苦労をしていることと思います。
 積雪のほとんどない地域では、数センチの積雪があるとあちこちで転倒をして怪我をしたとの報道がなされます。ところが積雪地域ではそのような話はあまり聞きません。私たち積雪地で暮らすランナーは「何事もなかった」ようにランニングを実施しています。私も㌔7分以下で通常より15~20秒遅い程度で走っています。「経験の差」といってしまえばそれまでなのですが、この背景にはどんなメカニズムがあるのでしょうか?
 転倒するということは私たちの生体システムに致命的なダメージを与えますので、通常転倒を防ぐため「立ち直り反射( ”おっとっと” と踏みかえる)」などの転倒予防システムが働きます。高齢者のサルコペニア(筋委縮症)などでは大腿の筋力低下などで支え切れずに転倒に至るケースもあります。
 ところが筋力低下が疑われないケースであっても、積雪地域以外の方の雪道での歩行やランニング中の転倒が多く報告されています。
 私たちの姿勢制御システムは大変上手くできていて、赤ちゃんはお母さんのお腹の中から行っていた「原始歩行」を1歳ほどで「凍結」して直立姿勢の制御を獲得します。そしてその後歩行パターンが再び登場して直立二足歩行が可能となります(東大・多賀厳太郎先生)。まさに「這えば立て、立てば歩めの親心!」なのです。「直立姿勢を維持したまま移動する」という矛盾したシステムの実現は「歩行ロボット」の完成に至るまでの長い長い開発プロセスに象徴的で、H社のアシモ君は全く別のコンセプトを導入することで開発されたようです。
 では、滑りやすい路面での歩行やランニングでは、どのようなメカニズムが転倒を予防しているのでしょうか。
 経験的には、足関節の回外(踵を横に向ける動き)に関与する「腓骨筋群」の筋肉痛が生じ、これはクロスカントリースキー実施後でも起こります。筋肉痛が起こるということは腓骨筋群が伸ばされながら力を発揮するという「伸張性収縮(筋肉痛の誘因)」が起こっているということです。ズルっと滑って足関節が内転(踵が内側に向く動き)すると転んでしまいますので、腓骨筋群が内転で引っ張られると脊髄反射が起こり0.1秒以下で腓骨筋を収縮させて足関節の回外動作が始まりますが、内転状態が継続しているので腓骨筋群は伸ばされながら力を発揮して何とか足首の角度を保持して転倒を避けようとします。
 また生態学的心理学で指摘される視覚性運動制御に重要な「みえ( ”滑りそうな路面” とか ”沈みそうな雪面” とか ”滑らない路面” など)」の存在も重要で、これらは経験と結合した事前情報として転倒予防システムに何らかの貢献をしているようです。(続く)  

練習した能力は遺伝する?

 2020年放映のNHK特集「遺伝子」では「DNAスイッチ」が、現在の生活習慣を反映し、ついには「食欲」や「脂肪蓄積」のスイッチがONのままで受精により子どもに反映される・・という指摘がありましたが本当なのでしょうか?
 どうやら身体にとって不利益となる遺伝子の「メチル化」と呼ばれるDNAの二重らせんをクチャクチャにして遺伝子発現を抑制する「負の遺産」は、食事や運動などのコントロールで遺伝子レベルでも改善されるようです。オリーブオイルやナッツなどの「地中海食」によって脂肪生成や肥満や炎症の抑制に関わる遺伝子が変化するとのスペイン・ナバーラ大学のマルチネズ教授の研究が紹介されています(別の研究ではイギリス人では効果が低かったとの報告もあります)。デンマークでは「精子トレーニング」というタイトルで、男性が有酸素トレーニングを実施してメタボリックシンドローム傾向を改善して受精に備える運動プログラムが実施されており、運動実施にともなう脳由来神経成長因子(BDNGF)が記憶力のアップに関わっていることなども指摘されています。
 運動能力にかかわる遺伝子はいくつがが特定されています。筋線維の収縮特性に関連したACTN3遺伝子は有名ですが、他にも血管収縮に関与するACE遺伝子やエネルギー生産の主役ミトコンドリアの増加に関わるPGC-1αを発現する遺伝子などの運動能力遺伝子(持久的運動が不得意な人はこの遺伝子の増加傾向が低いので運動が楽しくない・・走るのなんか大嫌い!となる)の検査はビジネスレベルで広く利用(1万円程度)されています。
 ただ、これらの遺伝子は潜在的なものであり、またミトコンドリアのDNAは母系遺伝で男性のミトコンドリアDNAは受精の際に排除されます。つまりお母さんの持久的能力は子どもに伝わる可能性があるのですがお父さんのミトコンドリア増殖遺伝子は伝わらないようなのです。また、遺伝的には獲得していてもそれなりのトレーニングを行わなければ、瞬発的能力も持久的能力も開花することはなく「遺伝型(先天的)」と「表現型(後天的)」ともいう関係になります。
 トレーニングによって改善された能力は遺伝するのかどうかということでこの「DNAスイッチ」が注目されているのですが、アスリートのDNAスイッチはおそらく健康や運動に好ましい方向に調整されているので何とも言えません。実はゲノム編集により能力や性質を変えようとする「デザイナーベビー」や「遺伝子ドーピング」という可能性も現実のものとなってくるのかもしれないのです。

DNAスイッチ?

 私たちの全遺伝子(ゲノム)はデオキシリボ核酸(DNA)という形でアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4つの塩基から二重らせん構造で構成されていることはよく知られています。2020年放映のNHK特集「人体 遺伝子」では、この塩基30億個から構成される全ゲノムのうち、からだを構成するタンパク質を生成する役割が明確ないわゆる「遺伝子」は2%程度で、他の98%の役割は従来はあまり良く知られていなかったことからタンパク質を生成しない ”非コード領域” とされ、”ジャンクDNA”と表現されていた時代もあったとしています。ところが最近の研究では、その98%のDNAがどうやら2%の遺伝子のコントローラーの役割を担っているらしいのです(ラザフォード、ゲノムが語る人類全史、文芸春秋、2017年)。放映ではこれら98%の中に様々な機能(健康や病気)や形態(身体つきや顔つき)に関係する「トレジャー(お宝?)DNA」があることを指摘しています。そしてこれらの遺伝子は受精に際して両親からのゲノム30億塩基のうち70個程の ”突然変異” が生じるとのアイスランドのdeCODE社のステファンソン教授の研究を紹介しています。遺伝子変異で生存に有利なものは淘汰圧となり私たちに貢献します。私たちホモサピエンスに2%ほど含まれているネアンデルタール人由来の遺伝子は、5万年にわたった世界拡散の中で寒冷環境への適応や免疫遺伝子への貢献があったとされています。
 さらにこの遺伝子の変異が「DNAスイッチ」ともいうべき役割を果たしていることを指摘し、生活習慣を反映した遺伝子変異が生ずるということ、更にそれらが「受精」に際してリセットされず、孫子の代にまで影響するといったスウェーデンのカロリンスカ研究所のビグレン教授の研究を紹介しています。これは北部の孤立した村の疫学研究の結果、祖父の代に「大豊作」を経験した子孫が心臓病や糖尿病を高い頻度で発症していること、さらにオーストリアのアデレード大学でのマウスを用いたシミュレーション実験での同様の結果を紹介しています。
 つまり98%に含まれる様々な遺伝子スイッチのONやOFFが、私たちの健康や様々な能力に影響を与えておりそれが受精に際して子どもに引き継がれる可能性があるというものです。故に私たちはいつも ”清く正しく” 生きないといけないのでしょうか?
 

 

タンパク質摂取で筋肉づくり?

 少し強めの筋トレをすると筋線維が少し損傷し、身体はそれを補修するためにトレ―ニング後のタンパク質代謝を亢進させます。このことから筋トレ後のタンパク質摂取(変換されてアミノ酸になる)が重要といわれています。ただし体重当たり2g以上のタンパク質摂取は、余剰タンパク質としてグリコーゲンや中性脂肪に変換され肥満を招くことと腎臓への負担となることが指摘されています。
 また摂取量が体重当たり0.5g以下の場合も食品タンパク質由来の血清アルブミン値の低下(4mg/dl以下)をまねき筋量減少や血管や免疫細胞のトラブルを引き起こします。特に運動をしない人でも体重当たり0.8g程度の摂取が推奨され、筋力トレーニングを継続している場合は体重当たり1.7g程度が上限とされています。つまり筋肉再生量に見合ったタンパク質摂取が重要なのです。
 タンパク質相当量は食品によって異なり、100gあたり豆腐で5g、魚や肉で20g、牛乳で3g程度です。ちなみにご飯も2.5g、ピーナッツは25gもあります。
 スピード持久力の要である筋グリコーゲン蓄積のための高炭水化物摂取の「グリコーゲンローディング」という方法は有名ですが、プロテインローディングというものはありえないので注意が必要です。また、いわゆる「アミノサプリ」はタンパク質をアミノ酸に変換するプロセスを省いているのでよりはやく吸収されるのですが、食品以外のサプリメントの摂取には配慮が必要です。
 一方同じアミノ酸でもBCAA(分岐鎖脂肪酸):「バリン」「ロイシン」「イソロイシン」はエネルギー供給系にかかわってくるので持久系運動でも運動中や運動終了後の摂取が進められていますし「顆粒状スティック」は携帯が可能なのでマラソン中の補給などに適しています。ただし、こちらも適切な糖質摂取との組み合わせが重要で、私もフルマラソンで使ったことがあるのですが30Km過ぎたあたりからは「ジュース」などの甘みのあるものが摂取したくなってきました。単一のサプリメントですべてをまかなうことは困難なようで、やはりバランスの取れた栄養摂取を心掛けることが必要なようです。 

PFCバランスって何ですか?

 私たちの食事の「5大栄養素」は皆さんご存知の通りです。このうちタンパク質(P)、脂質(F)、炭水化物(C:糖質と食物繊維)はからだを作る栄養素、そしてビタミンとミネラルはそれらを調整する栄養素と分類されています。
 例えばスポーツ活動で最も重要な「スピード持久力」は、糖質から作られる「筋グリコーゲン」がエネルギー源となりますが、その取り込みには原料である糖質とともにビタミンB2とアリシル(硫化アリル)、クエン酸(お酢)などが必要といわれています。
 PFCバランスとはこの食事に含まれる3大栄養素の比率のことで、「ファーストフード」「ジャンクフード」と表現される食事内容は脂質の割合が高くパフォーマンスや健康レベルを下げることはよく知られています。
 スポーツ栄養学で推奨されているのは糖質60~65%、脂質15%、タンパク質20~25%という「和食型バランス」です。
 健康障害が指摘されている極端な「糖質抜きダイエット」は、相対的に脂質の割合が高まるいわば「低カロリーファーストフード」化でありかつスピード持久力の原材料である糖質を制限するという点で、筋や血液のタンパク質分解を促進するという「本末転倒」の結果を招いてしまいます。また、主食と主菜のみの食事内容ではビタミンやミネラルの不足を招き、サプリメントで継ぎ接ぎするという問題が生じます。この点でトレーニングでのカロリー消費量に見合った「栄養フルコース型」のメニューが推奨されています。
 また、最近「腸内細菌叢」の役割の重要さも指摘されてきており、腸内細菌の「善玉菌」の餌:食物繊維質の多い海藻や野菜を含む和食の主菜や副菜の摂取が注目されています。この腸内細菌叢は「善玉菌」「日和見菌」「悪玉菌」から構成されていますが、その比率は食事内容や体調によって微妙に変化しているようで、脂質の多い食事をとり続けると「善玉菌」が減少して「日和見菌」が「悪玉菌」に味方をして体調を悪くするのではないかと指摘されています。慢性大腸炎などの恒常的な疾患に対する究極の「便移植療法(抗生物質で腸内をきれいにしてから他人の便を利用する)」も行われています。

パレオダイエットって何ですか?

 時々耳にする「パレオダイエット(Paleodiet)」とは、200万年前の旧石器時代の食事メニューで人類本来の健康を取り戻そう・・という意味なのですが内容はというと様々あるようです。「低糖質食」と混同されているようですが、パレオダイエットではパンやご飯は当時はなかったということから、芋や果実などの糖質を推奨しています。そして旧石器時代ですので基本は狩猟採集生活・・朝日で目覚めて10~15Kmほど歩き回り早く寝る・・という「清く正しい生活」が求められます。
 2020年、NHKで「食の起源」という特集が組まれました。「ご飯」「塩」「脂」「酒」「美食」というトピックスを進化の歴史から探るというもので、「ご飯」の特集では「低糖質ダイエット」の危険性が指摘されました。200万年前の「ホモ・エレクトス」段階からの脳の大型化は、狩猟で恒常的に獲得した肉などのタンパク質摂取量の増加がもたらしたという従来の考えに対して、火の発見による「加熱調理」により根茎や芋や果実の炭水化物が「糖質」に変化し脳の神経細胞にエネルギーを大量に供給できるようになったことが原因であるとの見解を紹介しています。確かに脳は「糖質(時には乳酸)」しか利用できずタンパク質や脂質からエネルギーを得ることはできないのです。また、8000年ほど前からの恒常的な穀物生産(農業革命)に伴い身体や脳の若干の小型化と炭水化物の消化(糖質化)にかかわる「アミラーゼ遺伝子」を獲得したことも指摘されています(遊牧民は乳糖分解の「ラクターゼ遺伝子」を獲得したので大人になっても乳製品を消化できる)。アミラーゼは炭水化物をすみやかに糖に分解し「甘さ」を感じるのでインシュリン分泌が改善され高血糖症を予防する可能性が指摘され、低炭水化物食の人たちは心臓血管系の疾病発症リスクが高いことも指摘されていました。つまり進化のプロセスで私たちは食べ物に関する遺伝的適応(有利な遺伝子を持った子孫が生き残る淘汰圧があった)を果たしたようで、その意味では旧石器時代のままではないようなのですが、「塩」「脂」「酒」などの過剰摂取の誘惑は現代の我々の健康に影を落としていることも事実です。(続く)

速筋線維と遅筋線維の比率?

 筋を構成する筋線維は2種類の速筋系筋線維と遅筋系筋線維があることはよく知られています。では「私は短距離が得意だから速筋系」とか「自分は長い距離の方が得意なので遅筋系」という表現は正しいのでしょうか?
 実は私たちの筋はそれぞれで遅筋系と速筋系の割合が異なっています。例えば肘を伸ばす上腕三頭筋は平均で67:33で速筋線維の割合が高く、物を保持する上腕二頭筋は54:46でほぼ半々で、かつ個人個人でこの比率が異なるようなのです。これは「動きの性質」と関係していて、物を投げたり叩いたりする動きは「素速く」、物をずっと保持する動きは「粘り強い」ほうが都合が良いからです。走るのに関係する股関節の筋群も、大腿を後ろに運ぶ(伸展)大腿二頭筋は33:67で遅筋線維が多く、大腿を前方に運ぶ(屈曲)大腿直筋は62:38で速筋線維が多くなっています。また、大腿直筋は膝関節では下腿を前方に動かし(伸展)、大腿二頭筋は下腿を屈曲して後方に動かすという「二重の働き」をしています(多関節性の動作といいます)。水泳の平泳ぎのキック動作で、膝関節を使う準備動作で股関節を屈曲してしまい大腿前面でブレーキをかけてしまうのはこの性質が邪魔をしているのです(”踵をお尻の上に持ってくるように準備する”と意識すると股関節の前方への屈曲を制限できます)。
 ランニングでは膝関節の屈曲‐伸展動作は、速度維持に貢献しないこと、膝関節はある程度固定したほうがランニング効率(エコノミー)が高いことも指摘されています。またストライドを無理に伸ばすと前方への踵接地(ヒールストライク)となってしまい接地ブレーキをかけてしまうことやストライドを抑えてハイピッチランニングにして腰の下方に接地してブレーキを少なくすることも重要です。
 つまり多くの筋から構成される動作の性質を、状況に応じて上手にコントロールすることが求められているのです。また、筋の収縮エネルギーをつくり出す3つのエネルギー供給系の状況(いわゆる疲労の進行)も考慮して動作の性質を変えてゆくことも重要です。そしてこの際に主要な役割を果たしているのは器用な速筋系筋線維のようなのです(遅筋系筋線維はあまり器用に動かせない)。つまり速筋線維は大きな力を出すだけではなく力を発揮する方向を決定すること(スキル)にも重要な働きをしているようなのです。

“マルチランナー”ってあり?

 10月8日の男子10000mで、ウガンダのチェプテゲイ選手が26分11秒00秒の驚異的な世界新をマークし8月にマークした5000m(12分35秒36)と合わせてダブルタイトルホルダーとなりました。それまではエチオピアのベケレ選手が、2004年と2005年に両種目(12分37秒35と26分17秒53)で世界記録を保持しており15年ぶりの出来事です。ただ、レースには5000mまでペースメーカーがついており、一発勝負で駆け引きもある世界選手権やオリンピックとは異なります。マラソンでは、ナイキやイネオスのプロジェクトが「2時間の壁」への挑戦を続け、世界記録(2時間1分39秒)保持者のケニアのキプチョゲイ選手が、X陣形のサポートランナーとレーザーでのペース誘導などに支えられ、非公認ながら2時間0分25秒と1時間59分40秒をマークしました。ちなみにキプチョゲイ選手の五輪2連覇へのライバルはエチオピアのベケレ選手です。
 ベケレ選手は5000mから42.195Kmのフルマラソン(2時間1分41秒)までトップクラスの記録を出しておりまさに「マルチランナー」の代表格です。2008年に人類初の2時間4分の壁を破ったエチオピアのゲブレセラシエ選手もトラック出身のマルチランナーでした。古くは、1952年のヘルシンキ五輪で、有名な「インターバルトレーニング」の創始者であるチェコのザトペック選手が5000m、10000m、フルマラソンを制しています。
 5000mからその8倍以上(時間では9.7倍)ある42.195Kmでもトップクラスの成績を収める選手の特性を運動生理学的に説明することは難しい問題です。ボルト選手のような100m・200mタイプのマルチランナーと、ジョンソン選手のような200m・400mタイプのマルチランナーについては速筋線維と遅筋線維の筋組成やハイパワー系やミドルパワー系というエネルギー供給系の比率などから推察はできるのですが、長距離種目ではプロポーションの問題やランニングスキルなどが関与する「ランニング効率(エコノミー)」の問題が絡んでくるので複雑なのです。また持久力の指標とされる「最大酸素摂取量」は5000mと相関が高いのですが血中乳酸濃度4Mmol/dl時の疾走速度(LT)はフルマラソンと相関が高いとされています。では「マルチランナー」ではどうなのかというとまだまだデータがそろっていないのでよくわからない部分が多いのです。
 ただマラソンで好記録が出せるようになるためのトレーニングはかなりの時間と経験が必要なようで、トラックランナーから転身した30歳代以降に好成績を残しているようです。(続く)


 

疲れた時はそれなりに・・

 よく「理想的なフォーム」は何ですか?と質問されます。
 ブレーキのかかる「踵接地」よりは「フォアフット接地」が良いのですか?、ピッチ走法の方が良いのですか?、呼吸法は「吸-吸-吐」の3拍子が良いのですか?、走りのリズムは3拍子と4拍子のどちらが良いのですか?など多々あります。
 ウサイン・ボルトの100m世界記録(9”58)時の速度曲線は70m以降じわじわと低下していますが、この時のランニングにかかわる筋の働きは「速度低下をもたらさないスキル」に対応して、トップスピードをなるべく低下させないような走り方に変更(適応)しているようなのです。実は20世紀までの100mの速度曲線は60mのトップスピード以降は低下(多分 ”オーバーストライドでの失速” )していたのですが、21世紀に入ると60m地点でトップスピードになるようなレース展開では「ベストタイム」が出せない(それ以降の速度低下が大きすぎる)と判断し「レース戦略」を変えてきたようなのです。これはエネルギー供給系の変容(ハイパワー系と解糖系の比率)に応じてスキルを変容(適応)させ、結果的にベストタイムが更新できるようトレーニングをしているものと考えられます。
 つまり「最高速度」を発揮することと「ベストタイム」を出すこととは異質の問題だったようです。「元気な時ははつらつと」そして「疲れてきたらそれなりに」動作を変容させ「トータルとしてのベストタイムがでる」ように適応制御できるトレーニングのほうがより「リアリティ」が高いと考えられています。
 「理想的なフォーム」は「エネルギー供給系のモード」に応じて複数存在するようで、特定のフォームに固執していては最終的に破綻をきたしベストタイムは生まれてこないようなのです。
 下図はたびたび紹介している全体のイメージです。

専門的持久力?

 ケガなどでトレーニングを中断したのち再開すると、全体的な練習時間は何とかこなせるのだがレースペースでの課題ができないことが良くあります。
 これは「一般的持久力」と「専門的持久力」の違いとされています。
 持久力の代表格は「最大酸素摂取量」といって1分間体重1Kg当たり何ccの酸素を取り入れられるのか・・という「有酸素的能力」があります。これに対して血中乳酸濃度を指標とする「乳酸性作業閾値」は、もう少し出力レベルの高い「解糖系」も関与してくる概念で、フルマラソンのタイムとの関連が高いとされています。フルマラソンは最大酸素摂取量の80%、血中乳酸濃度4Mmol/dl 以下で走り続けていますが、これ以上の強度(スピード)で走ると有限である解糖系を活発に使い始め、乳酸をエネルギーに変換するシステムが満杯になって乳酸濃度が上がって運動の継続が厳しくなり、最後まで続かずにペースダウンしてしまします。
 「一般的持久力」は有酸素的持久力の高さを反映しているのですが「専門的持久力」はこの「解糖系」を含んだ概念で、いわゆる「ここでスタミナが切れました・・」と表現される筋グリコーゲンが減少した「スピード持久力の低下」と関連しています。
 私たちがある程度以上の強度で運動を継続しているときは、複数の筋群を上手く組み合わせて対応しています。それぞれの筋には個別の「3✕3システム」がありますので、解糖系と有酸素系を上手に組み合わせてエネルギー生産を行っているのです。「専門的持久力」のトレーニングが必要な理由は、この動きとエネルギーをつくり出すシステムの「再構成」が必要であり、かつエネルギー供給系の減少に対応できる複数の動作系(スキルモード)を準備することが求められているからです(疲れたら疲れたなりに動きを変えて対応する)。