「超人」は本当に人類を超えるのか?

 五輪やパラリンピック、世界選手権などが近づくと「スーパーアスリート」が話題となります。確かに驚異的なパフォーマンスを発揮しているので「人類を超えている?」と考えてしまいますが本当にそうなのでしょうか?
 骨や関節、筋肉の数が多いわけではありませんし、エネルギー源も糖質とタンパク質、脂質とビタミン・ミネラル以外を利用しているわけではありません。実は「ドーピング」もこの人類のメカニズムの枠からはみ出しているわけではありません。「トレーニング」「食事」「睡眠」というサイクルの中に生理的基準以上の「物質」を加えているわけです。女子800mの南ア・セメンヤ選手は本人の分泌する「テストステロン」の値が高いという理由で2大会連続の金メダル種目800mに出場できないという理不尽な扱いを受けやむなく5000mにチャレンジしたという経緯があります。
 パフォーマンスの「絶対値」は通常のアスリートよりも高い「超人」ではあるわけですが、決して人体のメカニズムを無視して運動を実行しているわけではありません。
 ただ「運動の制限因子」は厳然と存在していており、そのメカニズムと制限レベルがトレーニングにより変容しているようなのです。例えばトップクラスの長距離ランナーでは直腸温が40℃(通常は体温調節の限界とされる)を越えても走り続けることができる選手も存在するようです。先日BS放映のあった「超人たちの人体」では、パラアスリートの女子車椅子ランナー・マクファーデン選手が、心拍数170拍/分を越えた状態から28分間継続して運動ができる(他のマラソン代表選手は18分程度)データが示され、脳の運動に直接かかわる部分以外の関与が示唆されていました。パワーリフティング競技で健常者を上回る(305Kg以上)イランのラーマン選手の運動にかかわる脳の活動領域についても下肢機能の懐失が上肢機能の発達を促したとする可能性を示唆しています。パラ・アーチェリーのスタッツマン選手は生まれつき両腕がなく、右脚で弓を支えたスタイルで世界最長距離射的でギネスブックにも登録され、健常者ランキングでも全米8位になったこともあります。スタッツマン選手は、弓を構えた時の身体の動揺がほとんどなく、脳機能も右脚を動かす際、該当部位だけではなく左半球全体が活動しているデータが示されていました。義足の8mジャンパーであるマルクス選手も、義足側の膝関節からの感覚入力が亢進しているとともに義足を動かす一つ手前の健足側の感覚―運動系にも適応がみられることが報告されています(2017、NHK放映)。脳のこのような「代償性適応」は視覚障がい者や聴覚障がい者で指摘されてきたことなのですが、健常者であってもトップアスリートたちは不断のトレーニングにより何らかのメカニズムを変容させて「超人」になっているようなのです。
 この脳の機能改善にかかわって、感覚―運動系該当部位を電磁石で磁気刺激する「経頭蓋磁気刺激法」がパフォーマンスの改善に有効ではないか・・薬物ドーピングには該当しないので・・との論議も始まっています。また、遺伝子操作や「デザインドベイビー」の可否も取り沙汰されてきています。しかし「超人」はあくまでも「人類の限界に挑む」からこそ私たちに共感と感動を与えてくれるのではないのでしょうか。

「持久力」と「持久性」?

 「最近年齢のせいかロードレースのタイムが低下してきたのだけれど・・」と心配されている方もいるのではないかと思います。トレーニングを継続していても、いわゆる「加齢」により様々な機能が低下してくるのは生理学的に自然な現象ですが、その程度は個人個人で異なるようです。ただマスターズ陸上競技の年齢別(5歳刻み)日本記録をみていくと高齢になってから始めた方を除いて短距離でも長距離でも跳躍でも投てきでも記録は低下していることがうかがえます(同じ方が複数の年齢別で記録を保持されている例もあります)。
 問題は継続的に運動を実施していなかったりトレーニングを長期に中断されている場合の機能低下で、特に長時間にわたって運動を継続する「持久的能力(≒持久性)」の低下は、結果として肥満や高血圧、糖尿病などのいわゆる基礎疾患に繋がる重大な症状を引き起こします。10Km走は速くなくともよいのですがゆっくりでも20分以上運動を継続できないケースは注意が必要です。運動継続に必要な有酸素的なエネルギー生産能力の低下は呼吸循環系の機能低下をまねきます。つまり「持久力」は高くなくともよいのですが「持久性」が低下することは食事と休養の乱れ、運動不足などの生活習慣病のリスクを高めているといえます。
 持久的な運動を継続すると私たちの体脂肪が遊離脂肪酸として分解され、また筋肉内のグリコーゲンという糖質も分解されて有酸素的なエネルギー源となります。心拍数も上昇し血液循環が活発になり長時間の運動実施を可能とします。この機能は「最大酸素摂取量」という1分間に体重1Kgあたりどのくらいの酸素を体内に取り込めるのかという指標で、これが低下するということは生活習慣病のリスクと大きくかかわっています。通常は30~40ml/kg/minですが20ml/kg/min以下ですと将来的に心疾患のリスクとの関連が指摘されています(ちなみに長距離選手では60~80ml/kg/minを越えます)。つまり長距離選手のような「持久力」は必要はないのですが運動を継続できる「持久性」は維持してゆくことが重要となります。
 また「心拍ゆらぎ」といって、1分間60拍であっても1拍ごとが1.05秒や1.1秒、0.95秒や0.9秒と変動している方が心臓の自律神経への反応性が良いこと(交感神経系が働くと心拍間隔が短くなり副交感神経系が働くと心拍間隔が長くなる)も指摘されています。子どもや運動選手ではこの心拍ゆらぎが大きいことが知られており、心筋梗塞の患者さんや高齢者の方ではゆらぎが減少して心臓の反応性が低下していることが指摘されています。運動を始めると速やかに心拍数が上昇してゆらぎが減少し運動を終了すると速やかに心拍数が低下してゆらぎが回復する反応性も「持久性」を示す指標です。心拍数が高くゆらぎのない心臓はいわば「ポンコツエンジン」で、アクセルを踏んでも回転数が上がらずアクセルを離しても回転数が低下しないのです。

いわゆる「厚底シューズ」の規制基準が変わりました

 昨年12月に、世界陸連(WA)がいわゆる「厚底シューズ」に関する規定を改定しました。有効期限は2021年8月まで(五輪後)です。
 全体的なポイントは、①市販されていて規則に準じていてメーカーがWAに申請登録していること、②市販されているものを足のケガなどを防ぐために改造したもの(外反母趾への対応など)、③市販目的でテストシューズとして開発されたものはWAに申請すること・・が使用可能で、④個人のためだけ作られた市販されていない「唯一無二」のシューズは使用禁止となります。
 また、トラックレースでは、800m以下の距離は20mm以下、800m以上のレースでは25mm以下で、例外的に競歩競技だけが40mm以下となっています。もしも役員に黙ってレースの時に取り換えて25mm以上の厚さのシューズで走ると「失格」になるばかりではなくそのレース自体が無効になり「新記録も無効」となる可能性があります。また、道路競争は従来通り40mm以下となっています。
 本年3月のランニング学会で東海大学の丹治史弥先生が、ランニングシューズとランニングエコノミー(効率)に関するプロジェクトの報告を行い、同じ40㎜厚のシューズでもカーボンプレートを内蔵したモデルでは平均6%近くランニング効率が高いこととともに選手によってはランニング効率が低下することを指摘しいています。さらにカーボンプレート内蔵の厚底シューズでは「最大スピード時の血中乳酸濃度が高い」という興味ある結果を示しました。最大スピード時の血中乳酸濃度が高いということは「速筋系線維が利用されている」ということで、ランニングスキルを変えている可能性があるのです。変わったランニングスキルがその選手とマッチしていれば結果としてのパフォーマンスが向上するということのようです。また、踵接地気味の選手や足首や膝をうまく使っている選手では逆に恩恵を受けにくいようなのです。
 結論はまだはっきりしないのですが、厚底だけ(当然シューズの重量が増えますのでエネルギーは必要となります)ではランニング効率はあまり変わらず、カーボンプレートの撓みをフラット接地やフォアフット接地ではうまく利用することができる選手にはランニング効率改善に貢献しているようなのです。
 因みに陸上競技連盟未登録のランナーはどんなシューズを履いてもかまいません。30Km地点でシューズ交換という必殺技も可能です。実はロードレースでのシューズチェックをどうやって行うのかは陸上競技連盟としても頭の痛いところです。一般の競技会では「選手召集所」でチェックできるのですが1万人を超えるレースでは「陸連登録者」だけをスタート前にチェックすることはできないので、入賞者だけゴール後シューズチェックをするしか方法がないようです。

運動を続けても体重は減らない?

 継続的に運動(トレーニング)を実施している人の場合には、原則的にあまり体重変動はありません。運動実施の刺激によって筋量は維持されますが、食生活分析からは消費カロリー以上の食事内容は「余ったカロリーは中性脂肪へ!」という人類進化の原則(トップアスリートでも体重当たり2g以上の蛋白質摂取でも同じことが起こります)がありますので体脂肪の増加による体重の増加は避けたいとする食事行動をとるからです。
 アスリートにとっては、体重維持や体重増加は筋肉量の増加で、体重減少は体脂肪量を減らすことが重要で、体脂肪量の増加や筋肉量の減少では相対的に運動能力の低下をまねき、いわば「燃費の悪い車」になってしまいます。
 一方、それまであまり運動をしなかった人が、思い立ってトレーニングを始めると筋肥大が起こるのですが体脂肪は減少する可能性が高いので最初の数週間は体重自体はあまり変動しません(体脂肪率を継続的に測定することが重要です)。そして一定期間後は体脂肪の減少により体重が安定してきて、トレーニング(身体運動)が習慣化すると燃費の改善された「省エネな身体」に代わってきます。
 健康維持のために「何とかしなくては・・」と運動を開始すると、1時間のジョギングでおよそ500Kcalを消費します。そのことでそれまで蓄積するはずだった体脂肪換算50g分を消費することができるのですが、突然運動を開始したことにより食欲の変化(通常の生活パターンでは ”レプチン” という満腹ー空腹に関わるホルモンが主役となる)も発現しますのでやはり「継続的」に食事と運動と休養の生活習慣と行動改善をはかることが重要なようです。
 前述のポンツァー先生やロバーツ先生らの研究結果を考えても、私たちが獲得してきた「省エネな身体」は、運動実施によって体重が簡単に劇的に変動することはありえないようなので「摂取エネルギーの管理」が最も重要なようなのです。特に炭水化物摂取に関わる「グリセミック指数」は大変重要なようで、摂取後の「食欲」までもコントロールをしているようなのでアスリートにとっては30分後に次の試合がある場合と明日10:00から準決勝がある場合では食事摂取の内容が変わってくるように思います。また、トレーニング実施日と休養日、またケガなどで練習量が低下しているときでは食事内容を調整することが重要となってきます。
 
 

「省エネな身体」って何ですか?

 ニューヨーク市立大学の人類学者・ポンツァー先生は論文「運動のパラドクス なぜやせられないのか(別冊日経サイエンス:食と健康)」(2020)のなかで、200万年にわたる人類の狩猟採集活動に比べ農業は1万年前で近代的な都市や技術は数世代でしかないにも関わらず、現在のタンザニアのハッザ族の共同的な食料調達で、女性は採集活動、男性は狩りと追跡に多くのエネルギーを消費しているにもかかわらず同体格の欧米人とのエネルギー消費量にはほとんど差がないことを指摘しています。男性で2600Kcal、女性で1900Kcalとのデータであり、ハッザの人びとはエネルギー消費を抑えながら高い活動水準を維持している「省エネな身体」になっているらしいのです。細胞や臓器の維持のためのエネルギーが少ないことや運動実施により免疫系の炎症反応が抑えられていること、生殖ホルモンのレベルの下がることなどが原因と考えられ、動物実験でも日々の運動量を増やしてもエネルギー消費量に影響がなく組織修復も鈍くなることを指摘しています。つまり毎日のエネルギー消費を抑えて維持させるためのいくつかの戦略を進化させているようなのです。そして人類はエネルギー大食い人間であり「肥満が運動不足というよりも大食いの病であることを示している」と結論付けています。
 タフツ大学の栄養学のロバーツ先生らは論文「カロリー神話の落とし穴(前掲の別冊日経サイエンス)」のなかで、消費エネルギーについて「二重標識水法」という厳密な測定を行い、健康体重で標準身長の米国成人男性で2500Kcal、肥満でない成人女性で2000Kcalであることを報告し、米国人は1970年代と比べて毎日500Kcal摂取エネルギーが増加して肥満と体重過多を招いていることを指摘しています。そして身体活動で消費されるのは全エネルギーの1/3(活動代謝)で、他の2/3は安静時の基礎代謝であり、人体で最も多くエネルギーを消費するのは筋肉ではなく脳や心臓や腎臓などの臓器であることと加齢に伴い基礎代謝が減少してゆくことから、摂取カロリーの重要さと複雑さ(加熱や調理によって消化吸収の比率が変動する)を指摘します。また「グリセミック指数(GI)」という食物がどれほど速やかにグルコース(ブドウ糖)に変換されるかの指標が重要で、同じ400Kcalの食物摂取でも高GI食品では食欲が亢進して、その後1日のカロリー摂取量が60%も増加する傾向があることを示しています。
 どうやら私たちの身体は、トレーニングを継続しているとエネルギーの無駄遣いをしない方向に適応するらしく、活動量が増えても省エネ傾向が亢進しいわば「燃費の良い車」になってしまうようです。それ故に、運動をしない人でも習慣的に運動を継続している人であっても食事内容によるカロリー摂取が決定的な影響を与えるようなのです。

つまめる皮下脂肪は減らしにくい?

 メタボリックシンドロームの改善に関わって「内臓脂肪」は適切な運動の実施と食事管理によって減少させることが可能です。実は特定健診でのメタボリックシンドローム判定の重要性はこの「改善可能性がある」ことにあり、「特定保健指導」はこの改善可能な状態で重症化を防ぐことを目的としたものです。ところが「問題点を指摘されることが分かっていて嫌」なので指導を受けない人が多くなると重症化を防ぐことが困難となり、心疾患や肝機能や腎機能の不全という改善の困難な「慢性疾患」へと移行してしまいます。
 一方皮下脂肪の方は「断熱材」として身体を守ってくれますので安定していて、飢餓状態にならない限りは減少が始まりません。冒険家が遭難などによって食糧事情が悪化してくると、最初は筋グリコーゲンや肝グリコーゲンといった糖質をエネルギーに変えます。水分さえ補給できていれば、次いで内臓脂肪や筋のたんぱく質を分解してエネルギーをつくり出します。筋肉量が減るということは「基礎代謝」も低下しますのでサバイバルには有利です。そして最後に皮下脂肪の分解が始まり「骨と皮と委縮した筋肉」だけの状態に至ります。つまり通常の状態では、皮下脂肪が優先的にエネルギーに変換される(減る)ことは考えにくいのです。
 ところが上腕の力こぶ側(二頭筋)と二の腕側(三頭筋)の部位では何となく三頭筋側の皮下脂肪が多い気がします。同じように大腿を前後に良く動かす前面の四頭筋や後面の二頭筋の部位よりは太ももの内側の内転筋側の脂肪も多いような気がします。私は「競歩」のトレーニングをよくやるのですが、腹部での腰の捻りに関わる腹斜筋の部位の脂肪だけは少ないような気がします。つまり「頻繁に動かす筋」の部分の皮下脂肪は何となく少ないようなのです。これは、減量の実験での体脂肪厚の減少が部位によって異なること(よく動かすふくらはぎや上腕部は早くお腹や腰やお尻は最後になるらしい)ということとも関連しているのかもしれません。低周波電気刺激で筋収縮を誘発して特定部位の脂肪を減少させる・・と謳うEMS刺激法はこの理屈です。ただ筋収縮を繰り返すことはあくまでも筋への刺激なので本当にその付近の皮下脂肪が選択的に減るのかは何とも言えません。ただよく動かす部位の脂肪厚はもともとは少ないので筋収縮の反復効果はあるのかもしれません。
 また女子長距離選手の過剰な痩せ志向は、体脂肪率を低下させ12.5%以下になると三大主徴(FAT)と指摘される、①利用可能エネルギー不足(摂食障害や過食)、②視床下部性無月経、③骨粗しょう症(疲労骨折を誘発)、をまねき選手生命にもかかわる重大なトラブルを引き起こします。そして、スポーツ栄養学の鈴木志保子先生が指摘するような筋肉量と体脂肪の極端な減少から「何時も寒い」と感じたり基礎代謝量も低下した「超省エネな身体」となる危険性をはらんでいます。
 つまり「皮下脂肪」は私たちの身体の健康を守る意義を持っているので安定しており、逆説的に極端に減少させることは何らかのトラブルを招く可能性があるのです。「内臓脂肪」も過剰蓄積は不健康を招くのですが、全くなくなってしまうと持続的なエネルギー供給ができなくなります。これに極端な「低糖質ダイエット」による脳の糖質不足の低血糖症が加わると意識障害まで引き起こしてしまいます。何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのです。

「内臓脂肪」と「皮下脂肪」の違いは?

 世界で健康上のリスクとして肥満が問題となっています。肥満の判定には身長と体重から算出される体格指数(BMI)が有名で、体重(Kg)を身長(m)の二乗で割ったもので、日本肥満学会では18以下を痩せ、25以上を肥満と定義しています。しかし、骨格筋や内臓、骨や脂肪のすべてを含むものが「体重」なので体格指数だけでは正確な判定ができません。BMIは正常範囲なのに体脂肪が多い(≒筋肉が少ない)場合は「隠れ肥満」とされ、運動習慣の欠如と相まって高血圧や糖尿病などのいわゆる「基礎疾患」のリスクが高くなります。正確に判定するには「体脂肪量」の算出が必要となります。体脂肪量は、比重を利用した「水中体重法」、上腕と肩甲骨付近の皮下脂肪厚から換算する「皮脂厚法」、手や足の2か所から弱い電流を流して抵抗値の変化から換算する「インピーダンス法」、X線を利用したコンピューター断層撮影のCT法などから推定されます。
 体脂肪は、皮膚と筋肉の間にある「皮下脂肪」と内臓の腸間膜に蓄積するメタボリックシンドロームに関係する「内臓脂肪」から構成され、さらに筋肉には「筋細胞内脂肪(IMCL)」と「筋細胞外脂肪(EMCL)」があります。
 内臓脂肪はエネルギー源としての中性脂肪を蓄積し必要に応じて活動エネルギーをつくり出します。その一方で、内臓脂肪は様々な生理活性物質を分泌します。血圧を上昇させる「アンジオテンシノーゲン」や血液を固まりやすくさせる「パイワン」、インシュリンの抵抗性を下げ高血糖を誘発する「TNFアルファ」などはいわゆる基礎疾患リスクを高める「内臓脂肪の三悪人」ともいわれています。
 「筋細胞内脂肪」と「筋細胞外脂肪」はどちらも本来あるべきところにないので「異所脂肪」と呼ばれます。ただしIMCLは運動実施によって利用されるようなのですが、EMCLは筋肉の赤ちゃんである「筋衛星細胞」が筋収縮の頻度が足りないことから脂肪細胞に変性して「霜降り」や「たるみ」に関係しているようです。
 「皮下脂肪」は安定した「断熱材」「クッション材」であり、母体保護の意味もあって女性に多く、「内臓脂肪」はエネルギー供給源として男性に多い(更年期を過ぎた女性では蓄積のリスクが高まる)といわれており過剰蓄積はいわゆる「メタボリックシンドローム」を招きます。
 我々人類につながるご先祖様である190万年前のホモ・エレクトス段階からこの「体脂肪」とのお付き合いが始まったようです。食糧事情が不安定な狩猟採集生活では、ゆっくり移動するためのエネルギー源は内臓脂肪の中性脂肪が利用され、貴重な「糖質」は大型化した脳を維持するために回されました(全エネルギーの20%ほど)。ハーバード大学の生物人類学者であるランガム先生(2010年)は、ホモ・エレクトスの段階で体毛が減少して発汗による体温調節機能により「持久狩猟」が可能となったが、一方体毛の減少はサバンナでの夜の間の「体温維持」を困難としたために「断熱材としての皮下脂肪」を獲得したのではないか(特に子供の皮下脂肪は生存に重要)と指摘しています。これは「火の利用」が調理だけではなく「暖をとる」ことにも貢献しているとの仮説です。確かに他の類人猿の体脂肪率は数%~10%程度なのに私たちは20~25%の体脂肪率なのです。そしてこの頃の「体脂肪」は健康上のリスクを高めることはなかったと考えられています。(続く)

ミスマッチ病?

 ハーバード大学の進化人類学者・リーバーマン先生は、進化と適応は「健康」のためではなく「繁殖」のために起こることを指摘し、進化のプロセスでのなじみのある刺激が「大きすぎること」と「小さすぎること」そしてかつてはなかった「新しすぎること」によってミスマッチを引き起こす「ディスエボリューション(トレイドオフ)」として以下の47の症例の「非感染性のミスマッチ病」を指摘しました(「人体600万年史(下)」塩原通緒訳:早川書房・2015年)。そして遺伝的に引き継がれる要因と文化的に引き継がれる要因との関係から、農業の発生にともなう変化、そして産業革命以降の工業化に伴う身体運動様式の変化が様々な不適合(ディスエボリューションの ”悪循環”)を引き起こすことを指摘しています。

 同じくハーバード大学の精神科医・レイティ先生は、「脳を鍛えるには運動しかない!」(野中香方子訳:NHK出版・2009年)の中で、身体運動の実施が身体に様々な物質を分泌することを指摘します。「脳由来神経栄養因子(BDNF)」「インシュリン様成長因子(IGF-1)」「線維芽細胞成長因子(FGF-2)」「血管内皮成長因子(VEGF)」「心房性利尿ペプチド(ANP)」などの体内ネットワークを担う重要な物質を分泌することが解明され、過栄養と運動不足に起因するメタボリックシンドロームだけではなく、ストレスの増加による「不安症」「うつ」「パニック障害」や「ADHD」など様々な精神性疾患への改善可能性を指摘しています。また、現代社会での反復されるストレスへの反応が、脳の大脳辺縁系にある「扁桃体」といういわば非常スイッチをオンにして、脳下垂体から副腎皮質に至る「HPA軸」を介してストレスホルモン(コルチゾール)を分泌し、恒常的なコルチゾールの分泌が記憶をつかさどる大脳辺縁系の「海馬」の神経細胞を委縮させること、非常事態に備えてエネルギー源である中性脂肪の蓄積を促進すること、また交感神経系の恒常的緊張により血管系を収縮させ心疾患を誘発すること、そして様々な精神性疾患の症状につながることを警告し、逆に身体運動の実施がこれらの症状を緩和する治療薬と類似した反応(併用が望ましい)を促進することを指摘します。つまり身体運動の実施(有酸素運動と認知負荷の高い運動の組み合わせを推奨)が私たちの大型化した脳の危機を緩和してくれる可能性を示唆しているのです(レイティ:野中訳「GO WILD~野生のからだを取り戻せ!」、NHK出版・2014年)。

脳をまもる身体運動?

 先日TVで「あなたの大切な記憶は何ですか?」という放映がありました。アルツハーマー病改善に取り組む加齢専門研究所:Buck InstituteのCOE:ブレデセン先生の「RECODE(Reverse Cognitive Decline)法」を特集したものです(ソシム社(2018)から「アルツハイマー病 真実と終焉」(山口茜訳)が邦訳されています)。
 従来アルツハイマー病は、脳内にアミロイドβというタンパク質が作られ神経細胞同士の結合が阻害されて発症するとされており、このアミロイドβの蓄積を如何に抑えるかが研究の中心とされてきたようです。またApoE4という遺伝子を保有していると発症リスクが30~50%上昇するとされています。
 ブレデセン先生は「何故アミロイドβが蓄積するのか?」について研究する中から、アミロイドβの蓄積自体は一種の「防衛反応」であり、その要因に「炎症」「栄養素とシナプスを支えるその他の分子の欠乏」「毒物への暴露」の3つの異なるプロセスがあることを指摘します。そして、それらを引き起こす 36 の要因に対して、食事や運動、睡眠や毒物暴露を避けるなどの生活習慣への取り組みによって改善可能である(屋根に空いた36個の穴をふさぐ取り組み)ことを指摘しました。
 私たちホモ・サピエンスの脳は、およそ180万年前のホモ・エレクトスの段階から大型化してきたことが指摘されています。その要因には狩猟採集活動に伴う身体活動量の劇的増加、肉の摂取と火の使用による加熱調理での腸への負担軽減と脳へのエネルギー供給の増大、狩猟採集活動での協働性とコミュニケーションの必要性、石器の精密化(見通しを持つ抽象性の発達)に伴う脳の機能的発達などが「共進性」となって作用したのではないかと考えられています(ただし火の使用についての人類学的遺跡は80万年前からとされている:人類学者のハーバード大・ランガム先生も「火の賜物~ヒトは料理で進化した(依田卓己訳)」(NTT出版:2010)の中で旧石器時代に火を使用した可能性はあるものの証拠はないと指摘する)。
 つまり私たちは、180万年にわたる直立二足歩行や狩猟活動を行う身体活動と食事摂取と睡眠、仲間との共同性や道具の製作などと密接な関係性を保ちながら脳を大型化させてきたものと考えら、それ故に私たちの身体と脳を形づくってきた「運動」「食事」「休養」の内容が十分に担保されないと様々な「不都合(肥満や糖尿病などの身体的不健康だけではなくこころと身体の統合のトラブル)」をきたすようです。ハーバード大学の進化人類学者・リーバーマン先生は「ミスマッチ病」として非感染性の47の症例を指摘しています。(つづく)

テントウ虫ではなくて転倒無視・・!

 滑りやすい雪道ランニングでも転ばない雪国ランナーの転倒予防システムの存在は、ひょっとして高齢者の転倒予防のヒントになるかもしれません。
 足関節での回内-回外動作の制御では極めて短時間でバランスを修正します。これは脊髄でUターンする伸張反射によって無意識的に実行されているようです。また路面状況の視覚的情報から「あ、ここは滑りそうだ・・」という警戒システムも事前に作動しています。
 筋肉内には筋紡錘という張力センサーが存在して動作の状況を中枢に送ります。そして筋肉を収縮させるアルファ運動神経とともに筋紡錘を緊張させて感度アップさせる(時には感度ダウンも)ガンマ運動神経という二重システムが存在しています。細かい外乱に対して張力センサーの感度アップ(ガンマバイアスといいます)を行っていればわずかな変異も感知して対応することができます。また、脊髄全体の興奮性を変化させ信号の伝導速度を改善するメカニズムも持っています(H反射という手法で測定します)。つまり経験的にも滑りやすく外乱の予想される視覚的状況下では中枢性の「転倒アラートシステム」が作動しているようなのです。
 また外乱の予想される路面では、踵接地(ヒールストライク)傾向が強いほど滑りやすくなりますので、ストライドを抑えてフラット気味の接地に変容させます。また足関節だけでは対応できない場合もあるので膝関節での補正もしているようで、それでも対応しきれないような大きな外乱には上半身や腕を動かしてバランスを維持しているようです。
 卓球でイレギュラーするボールのリターン処理の実験をしたときに、全身がフリーの状況では打点を遅らせて返球しているのですが、体幹を椅子に固定した場合には急激に片足を振り上げたり反対の手を動かしてバランスをとっているという大変面白い対応がみられました。これらの対応はいずれも0.1秒以内に起こっていますので言語的に対応していては間に合わないのですが、私たちの身体システムは経験知によってさまざまな外乱への短時間での対応が可能となっているようです。
 転倒予防は「予期せぬ外乱」には簡単には対応できないのですが、視覚的情報などによってある程度予測できる状況下では「アラートシステム」が発現します。そして身体の各部位で、対応可能な姿勢制御システムを「活性化」しておくことが重要で、そのためには安定した状況下だけではなく外乱も起こる状況下での経験を積むことが重要です。登山やハイキング、クロスカントリー走や山道でのトレイルランなどの実施でいわゆる「経験知」を高める(これには小脳での動作補正機能が関与する)ことが求められているようです。