「巧みさ」を決めるものは?

 ロシアの生理学者・ベルンシュタインの「デクステリティ 巧みさとその発達」(工藤和俊訳、金子書房、2003年)は、1940年代に執筆されたものの旧ソ連内での「パブロフ理論」に従わない「機械論」として批判され(ユダヤ人であることも関連していた?)、1991年に至って初めて出版された名著です。特に「運動構築の水準」という概念は身体運動制御の自由度に関わる理論であるとともに、運動障害に対する理論的知見を示したものとして障がい者教育にかかわる人たちからは高く評価されてきました(ワイズマン:茂木俊彦訳、知恵遅れの子どもの運動機能と脳、ミネルヴァ出版、1978年)。一方1967年には「The coordination and regulation of movement」という著書が英訳・出版され、これはヨーロッパの運動の制御に関わる研究者の間では現在も極めて高く評価されています。
 ベルンシュタインは、進化の歴史(系統発生史)から見て大脳基底核の「淡蒼球」など運動制御上の脳の旧い部分から「脳の摩天楼」のように大脳皮質に至るまでA~Dの水準とその関与を例示しています。例えていえば、緊張のレベルAでは走姿勢の保持、筋関節のレベルBでは走動作、空間のレベルCでは陸上トラック上を走ること、行為のレベルDでは400mでベストタイムで走ること・・と解釈できます。つまりそれぞれの水準が系統発生的な起源を持ちそれが再構築されて「巧みさ(デクステリティ)」を実現しているという理論です。
 岐阜大学名誉教授の松波謙一先生は、熟練した運動における運動前野の働きが、動作補正に関わる小脳外側部との結合が強いことに加えて大脳基底核の歯状核や尾状核、被殻との連絡も強いことを指摘し、大脳-基底核-間脳・脳幹-脊髄とつながる「キュー(辮髪)」という概念を示唆されています(運動と脳、紀伊国屋書店、1986年)。また、ヒトとクジラの小脳を比較し、ヒトでは手指の運動の関わる小脳外側部が優位であるのに対してクジラでは体幹の運動に関わる小脳中間部外側が大きくなっていることをから進化のプロセスで求められた運動様式に対応して機能発達と再編が生じている可能性を示唆されました。
 このことは系統発生的に古い神経システムであっても系統発生的に新しいシステムと連携して円滑な運動遂行を可能としていることがうかがわれ、「運動構築の水準」は決して機械論的な決定論ではなくヒトの運動の「背景調整どうしの調和を作る段階」で運動スキルの形成を実現しているようなのです。
 「巧みさ」を実現するシステムは、大脳皮質運動野での運動経過を小脳や大脳基底核などがトレーニングの繰り返しの中で再編され、そのなかで緊急事態に対応する大脳基底核の「直感」システムが形成されているようなのです(続く)。


 

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