何時インターバル・トレーニングが始まったの?

 最高速度以下で一定の距離を競い合って走るという中長距離走のスタイルはいつから始まったのでしょうか?
 立命館大学の岡尾恵一先生は、紀元前772年の古代ギリシャのオリンピア祭では1スタディオン(約191m)を競う競技があったことが記録に残っており、その60年後あたりから2スタディオン走や10往復(3800m)する長距離走も行われていたことを指摘します。18世紀には「賭けレース」として超長距離走が行われるようになり、「マラトンの故事」にならった40Kmを走るマラソン競争は、1896年の第1回近代オリンピックのマラトン~アテネ間で最初に開催されたとのことです。
 長距離走が競争として行われるとそのための「トレーニング」が行われるようになります。TVドラマ「いだてん」を見ても1912年のストックホルム五輪に参加した金栗四三さんが様々な工夫をしてトレ―ニングを実践していたことが分かります。最初のトレーニングはレースと同じように長時間かけて長距離を走る「ディスタンス・トレーニング」が行われていました。1936年ベルリン五輪で金メダルを取ったソン・キジョンさんもこの方法を実践していたようです(孫基禎自伝「ああ月桂冠に涙」、講談社:1985年)。1920年頃からフィンランドの長距離王ヌルミ選手が行っていた「ファルトレック・トレーニング」は、郊外の地形を利用して下り坂で急走をし平地で緩走をするもので、チェコのザトペック選手の「インターバル・トレーニング」につながる方法で、現在も重要なトレーニング手段です。
 つまり、同じペースで長時間(1時間以上)走り続ける方法とスピードを大きく変えて短時間で反復する方法とが混在しているのです。「レペティション・トレーニング」や「ペース・トレーニング」といってレースで目標とするスピードでレースの1/4程度の距離を十分な休息を挟んで繰り返す方法も実践されています。
 面白いのは実際のレースでは一定の「速度✕距離」で行われているのに、それを目指す現在のトレーニング方法は「速度を抑える」か「距離(時間)を抑える」かという矛盾した方法をとっていることです。つまりマラソンを走るために42.195Kmを想定タイムで走り切るという「リアリティ」を重視したトレーニングは生体へのダメージも含め「非現実的」なようなのです。
 では何故インターバル・トレーニングのように「強度と時間を変化させる」方法が有効なのでしょうか?
 根源的な問題は私たち人類の進化史があるようで、180万年前のご先祖様「ホモ・エレクトス」は、体温調節機能を持たない羚羊類を30Kmにわたって追いかけて体温調節不全(熱中症)を引き起こして仕留めた「持久狩猟」を行っていたことが分かっています。仲間と協働して足跡を確認し、先回りして追いまわして最後にとどめを刺していたのですが、この際に発汗による体温調節機能と動き続ける脚の疲労や痛みを緩和する「エンドルフィン」や「エンドカンナビノイド」という自己生産性鎮痛物質生産性も獲得したようです。当然「一定速度」で追跡していたわけではなく仲間と状況を確認しながら協働して走っていたわけですので、とどめを刺す時は筋出力での最高速度が必要ですがそれ以外ではコミュニケーションの取れる状況(運動強度は高くない)で走っていたものと思われます。
 どうやら私たちの身体は運動強度が連続的に変化(アップ&ダウン)する方法により大きく反応するようなので、パフォーマンス改善を目指すトレーニング方法は様々な工夫が求められています。また低強度で長時間走り続けるトレーニングは基本的課題ですので全練習量の2/3を占める必要性が指摘されています。月600Kmを走るとすれば400Kmは「のんびり」走ります。パフォーマンス改善を目指してインターバル・トレーニングなどを300Kmまで増やすと600Kmの「のんびり」走が求められます。エリートランナーが月間走行距離1500Km・・といっても1000Kmは「のんびり」走っているようなのです(ケニアのランナーの練習メニューは若干異なるようです)。
   

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