私たちの複雑な身体は膨大な「自由度(勝手に動く)」を持っています。これを上手く動かすための「運動中枢」は4つの部位が関与しているとされます。最も複雑なのが「大脳皮質」でこれを状況に応じて複雑に補正しているものが「小脳」です。繰り返し学習により精度が向上するメカニズムです。さらに最適な補正をのみを実行して他の補正を強力に抑制しているものが「大脳基底核」で、もっとも単純なものが「脊髄」での反射であるとされています(伊藤正男、脳の設計図、中央公論社、1980年)。
ところがこの単純と思われる「反射」自体も事前に予測され調整されているようなのです。
実は以前から筋張力を感知する「筋紡錘」というセンサーが事前に感度を調整している「α-γ連関」というメカニズムの存在が指摘されていました。肘を直角に保持した掌に500gの重りを乗せるとちょっと下がってすぐ直角に戻ります。これは「伸張反射」といわれるものです。ところが「黒い重り」が500gで「白い重り」が200gのトライアルを繰り返すと「白い重り」への伸長反射量を事前に抑制します。面白いことに200gの「黒い重り」を乗せた場合には反射量が増大するのです。つまり事前の視覚的な情報からセンサー感度を調整しているようなのです。
従来は「結果の知識(KR)」といって実行した結果から経過を修正する(色と重量の関係を理解する)と考えられていたのですが、2006年アメリカのフリストン先生が「能動的推論」と「自由エネルギー原理」という概念から、知覚と運動は「脳の推論するシステム」に支えられていることを提唱しました。そして「予測信号」と「予測誤差信号」の差(サプライズ)が小さくなるように感覚器の精度を事前調整していることを指摘しました(乾敏郎・坂口豊、脳の大統一理論、岩波書店、2020年)。日本でもデジタルハリウッド大学の藤井直敬先生が「予想脳」という概念から、「フレーム」と「テンプレート」という枠組みでの脳内の情報処理過程のシステムを指摘しています(藤井直敬、予想脳、岩波書店、2005年)。
2025年 1月 の投稿一覧
状況に応じて切り替えている??
_私たちが運動を継続的に実施するためのエネルギー供給系は、いわば「ソ-ラーパネル」の有酸素系と「ガソリンエンジン」の解糖系と「バッテリー駆動」のクレアチンリン酸系の3種類の「ハイブリッド供給構造」を持っています。一方、動きを作り出す筋システムは、持続性の強い「遅筋系」とそこそこの出力を持つ「速筋系」と瞬間的に大きな力を発揮する「超速筋系」の3種類があります。つまり3つの「エネルギーを生み出すシステム」と3つの「動きを作り出すシステム」から構成される「3×3システム」となっています。また遅筋系筋線維も「ソーラーパネル」が主要なものの3つのエネルギー供給系があり速筋系筋線維も「ガソリンエンジン」が主要なもののやはり3つのエネルギー供給系があります。
_しかも私たちの身体の構造と機能は複雑なので、複数の「拮抗筋」と「協働筋」が関連して収縮する「マルチ3×3システム」として存在しているのです。ですから「運動指令」は個々の筋を動かすものではなく複数の筋群を連動させる「動作(基本的運動形態といいます)」として発せられており、ATRの川人光男先生は、動作と力に関わる「関節トルク」という性質を持っていることを指摘します。つまり「軽く叩け」とか「グンと引け」といった性質を持っているようなのです。
_ですから100m走と10000m走では、同じ「走る動作」であっても使っている「3×3モード」が異なることとなります。まさにエネルギー供給状況と動作モードに応じて「切り替えを」実施しています。さらに、山崎(2015)は、10000mレース中の疾走動作の解析をおこない、2000m地点と4800m地点と8800m地点ではほぼ同一の疾走速度であっても「スピード」と「ストライド」と「ピッチ」の相関関係が異なっており、8800m地点ではスピードとピッチの相関が高くなり、また膝関節を固定気味にして走っていることを報告し、まさに状況に応じて切り替えている「適応制御」の可能性を指摘しました。
走り方を切り替える??
駅伝シーズンですが、TV解説者の方が「〇◎選手走りを切り替えましたね・・」とか「前半速く入りすぎたので後半が心配です・・」といったコメントが良く放映されます。確かに「上り坂」と「下り坂」では走り方も違うだろうし、前半速く入りすぎると何となくオーバーペースかな?とも感じてしまいます。しかし、月1000Km以上走り、様々な条件下で練習を繰り返しているランナーがそう簡単に「ペースを間違える」とは考られません。特に監督車が後ろについてその都度マイクで指示を出している状況(ルール上は「助力」といって違反なのですが・・箱根駅伝の伝統?・・)でペースを間違えるとは考えにくいのです。
ただ10000mのベスト記録のわりに20Kmを超える区間でのパフォーマンスが異なることはよくあります。持久力の指標である「最大酸素摂取量(体重1Kg当たり1分間に酸素をどのくらい体内に取り込める能力)」は年間あまり変動しないといわれていますがレースでのパフォーマンスは大きく変動します。そこで「コンディションが良くなかったのでは?」とのコメントが登場しますが本当にそうなのでしょうか?
実は、運動生理学的には20Kmや42Kmのパフォーマンスは「最大酸素摂取量」よりも「血中乳酸濃度(乳酸性作業閾値)」との関連が高いことも指摘されています。
運動時のエネルギー生産系には3種類あることはよく知られています。細胞内のミトコンドリアに関連する「有酸素系」はいわば「ソーラーパネル」に、筋グリコーゲンを分解する「解糖系」は「ガソリンエンジン」に、燐酸を瞬間的に利用する「クレアチン燐酸系」は「バッテリー」に例えられ、いわば「ハイブリッドエンジン」となっています。ソーラーパネルの上限である最大酸素摂取量を越えた速度で運動するためにはガソリンエンジンが必要となり、筋グリコーゲンを分解する「乳酸」が生じます。ソーラーパネルだけで走っていてはレースになりませんのでガソリンエンジンも「残量メーター」と睨めっこをしながら動員することとなります。そこでこの「乳酸性作業閾値」が注目されるのです。
そして、この3つのエネルギー供給系の比率はレースの進捗状況により変動してきます。有酸素系は定常状態で頭打ちですが解糖系は減少してきますので「ランニング効率」を変える必要が出てきます。この際にクレアチンリン酸系と連動した変動する「ハイブリッドエンジン」が走り方(ドライビングテクニック)を切り替えている本命のようなのです。